夕飯なんていらねぇよ、夏。あるいは肉体改造計画2010
何度か言ったかも知れないけど、3月からプールの監視員なんていう、似合わない仕事をしています。
一応運動部出身だけど、パソコン大好きだし、インドアっ子なのに。
でも、バスケ部でしたっていうと「あー、っぽいねー」って言われたりとか、「空手やってそう」とか言われたりとか、WEBサイト作ったりしてましたっていうと「あー、やっぱり」って言われたりとか、もうなんなんだよって感じです。
閑話休題。
で、結構泳ぐようになって、毎日最低500m、暇な時は1kmくらい泳いだり軽く筋トレしたりしてるんだけど、段々体が変わってきました。
2月は、175cm、67kg、体脂肪率18〜19%くらい。
それが5月には、64kg、体脂肪14%くらいまで落ちて、このまま63kg目指そうと思ってました。
で、8月22日、暴飲暴食してから測ったら、69kg、体脂肪13%
体重減ってないどころか、増えてるぞ、と。
これはどうにかせんといかんざき、ということで、ここまで来たら筋肉落とすのは嫌なので、人生初のプロテインを買ってみました。
今後一月くらい、この写真にあるように、僕の夕飯は基本的に豆腐一丁と、刺身こんにゃくと、プロテインと牛乳です。
エビオスとマルチビタミンは元々家にあったので、なんとなく入れてみました。
昼は今まで通り外食の予定なので、要するに自炊しなくなります。
運動量は減らないので、摂取カロリーだけ減って、更に摂取タンパク質は減らさないことで、あまり筋肉を落とさず体重を落とそうと画策。
目標は、体重63kg以下、体脂肪率8%以下。
とりあえず今月中(あと一週間)で、2kg減が目標。
毎日1km泳いで、水は沢山飲んで、夕飯を控えれば、多分余裕。
最終的には筋肉も2kg程度落とさないと無理だけど、9月中には63kg、体脂肪8%の、十年以上前の肉体を超えた肉体になる予定です*1。
*1:15歳の時、175cm、63kg、体脂肪11%
5月18日、火曜日。打ち上げ前。
何もない空間を、ただただ進み続ける。
それはきっと人生も同じで。
たどり着けないかも知れない。
そこに何もないかも知れない。
出発も出来ないかも知れない*1。
それでも人は何度でも挑戦するし、何度でも失敗する。
いつか成功することを夢見ているのはもちろん、挑戦することそれ自体に意味があるんだと思う。
一人で、何億キロという距離を半年かけて進んで、星の周りを二年間回り続けて。
で、あかつきはもちろん、IKAROSも気になる。
そういや昔PC98でやったゲームに、イカロスってあったなぁ。
で、ソーラーセイルの名前がイカロスって、ちょっとブラックジョーク過ぎないかw
丁度この前、『水惑星年代記 月娘』読んだのと『秒速5センチメートル』見たのを思い出す。
ソーラーセイルって劇的に速くなったりするわけじゃないから、地味っちゃ地味だけど、低コスト宇宙旅行実現の可能性として面白いと思うんだよなぁ。
金星はあんまし思い入れないから個人的にはIKAROSの方が好きかも。
追記
6:40現在、気象条件により打ち上げ延期。
うーん、残念だけど仕方無い……。
*1:現在あかつき打ち上げまであと30分
勝間和代とひろゆきの対談を見て
なんか方々で言われてるから、手短に。
議論というか、対話の態度の面で圧倒的に悪いのは勝間和代。
ただ、擁護するなら、勝間和代にとっての「自明の理」が、ひろゆきにとってはそうじゃなかったから、だんだんイラだって、「こんな当たり前のこと否定してくるって、喧嘩売ってるのか」みたいな態度になっちゃったんじゃないかと思う。
で、問題はその「自明の理」だが、これって別に自明じゃねーんじゃねーかなぁ、と。
ひろゆきは良くも悪くも哲学的な人だけど、勝間和代はあくまで経済の人なんだよねぇ、という。
例えば、若者が感じている閉塞感や、幸福度の低下は、本当に経済だけが問題なのか?
勝間和代は、経済、つまり金が幸福を左右するかのように言っているが、その左右される割合は人それぞれなんじゃないかなぁ。
むしろ、経済成長を目指して労働「しなければならない」という社会自体に、若者は閉塞感を感じている可能性もあるわけである。
起業しようと、就職しようと、「仕事」を第一優先させた人生を送らざるを得ないという、その仕組み自体に閉塞感を感じているとしたら?
ひろゆきの言うように、「水と安全させ確保されてればある程度幸せ」だと思っている人たちにとって、必要以上の労働を強制される現実というのは、不幸でしかないし、閉塞感も感じるだろう。
一日に必要な分しか魚を釣らない漁師に対して、アドバイスするアメリカ旅行者の小話があるけど、まさにあんな感じ。
万人が、金さえ稼げば幸せになるわけじゃないし、その人が幸せになるために必要な稼ぎってのは人それぞれ違うわけで。
働き過ぎと言われる日本で、「仕事よりももっとプライベートを充実させたいよ」と思う若者が増えても、別に不思議じゃない。
そういう人にとっては、起業し辛いとか、収入が少ないとかよりも、「プライベートを犠牲にして仕事に身を捧げるスタイルしか選択できない」ということが、何より不幸だと思うんだけどなぁ。
任天堂 修理 などのキーワードでこのダイアリーへ来た人へ――修理したDS Liteのその後
更新してない月でも、未だに3〜4000程アクセスがあって、「いったい誰がこんな日記を見ているのだろう」と疑問に思うと同時に「ひょっとしたら俺は夢遊病で、寝ている間にパソコン立ち上げてF5連打してるのか知らん」とすら思う今日この頃。
慌ててGoogle AdSenseを導入したのも今や昔、その後、同アカウントで身内の他サイトにもAdSense登録したら*1、身内のアホが毎日広告連打してくれて、見事にGoogle先生にBANされたのも、今ではいい思い出です。
この日記は、三ヶ月毎に一万円ペースで不労所得を得られる、格好の収入源だったのですが、今ではそれを断つことで僕のニート化を身を呈して阻止してくれたのだと、好意的に解釈しています。
さて、そんなわけで惰性で続けているだけのこの日記ですが、未だに「任天堂 修理」とかのキーワードで上位に出るようで*2、「任天堂 修理」で多くアクセスされてる状況です。
で、忘れもしない2008年2月、件の修理に出したDS Liteが帰ってきたわけですが、じゃぁ今そのDS Liteがどうなっているのかと言うと、ウチにありません。
DS Liteは、その後ラブプラス専用機になった後、実家に帰った時に、おかんの初代DSとトレードされて、今ではおかんの英語漬け専用機になっています。
修理に出したものの、結局あまりDS Liteを起動させることがなく、ラブプラスで一時大活躍するも、ラブプラスが借り物だったこともあって、結局「やらないならLiteちょーだい。そのかわり初代DSあげるから」という、おかんの提案に抵抗することもなく、トレードされて行きました。
そんなこんなで、世の中がDSiだのDSLLだの言っている中、DS Liteから初代DSというまさかの退行をし、かつ、おかんが使ってたDSは液晶保護シートも何も貼らず脳トレやりまくってたせいで、タッチパネルが若干ザラザラで、寧々さんにキスする時にタッチペンが振動してハートが割れちゃうよ!! ってな状況になったので、今年に入ってからDSの電源は一回くらいしか入ってません。
他には、どうぶつの森と、しゃべるお料理ナビと、英語漬け等を持っているんですが、雑草が覆い茂る村を見て絶望したり、食費が足りなくてお料理ナビのレシピ通りに作るのが厳しくなってきたり、英語漬けで一人でお絵かきしたりしてるのが虚しくなって、DSはお蔵入り状態です。
でも、ラブプラス+が出るらしいんで、ちょっと初代DSに液晶保護シート貼って、発売前に、ちゃんと寧々さんの頭を撫でられるか確認しておこうと思います。
まぁ、ホントは凜子が一番好きなんですけどね。中の人とか総合するとね……。
「けいおん!!」は見たことないし好きでもないけど
http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20100411/1270989266
ここを読んで、興味ある内容だったので言及。
僕は常々、「キャラ化が極まると、そこに物語は必要無くなる」と思っているんだけど、今回は、「これって別に萌えだの日常系アニメだの関係ないよねー」という話。
アニメファン向けに言えば、古くはうる星がそうであったように*1、ある程度までキャラ化*2が進むと、物語の面白さ自体よりもその中で動くキャラクターの存在の方が重要になってきたりする*3。
で、うる星なんかは「萌え」のはしりだって言われるような作品だから〜と言われそうだけど、これって萌えだのアニメだの関係なく、昔からありましたよ、と。
例えば昭和の探偵小説や、私小説なんかは、まさに「キャラ化」だ。
最も、今ほどキャラ化が極まってはいないから、そこには一応の「物語」は存在するのだけれど、物によっては最早形式上物語として残っているだけだったり、それこそただの日常を描いているだけだったりする作品もちらほら。
要するに、探偵小説にしても私小説にしても、シリーズ化したり作者の人気だったりで、徐々に登場人物がキャラ化していくと、自然と相対的な物語の必要性は薄れていく。
一部の私小説なんてその傾向が強すぎて、後年叩かれることになるわけで。
まぁ広い意味でのキャラクター商法であり、こういうのは萌えアニメがどうこうとか関係なく、昔からあったわけである。
で、それを自覚的にやっただけでなく、物語的にも壮大っぽい何かに見せかけて、見事に視聴者を騙したって意味でエヴァは評価されるべきなんだけど、そこを指摘する言説が少ないのが不満*4。
まぁそれは別の話なんで話を戻し、かつまとめちゃうと、「けいおん!!」とかの日常系アニメとやらが、昨今急増している「アニメオタク」の方々に割と広く受け入れられるのは、要するに物語性の欠如が要因で、それって別に今に始まったことじゃないよーと。
大衆文化になるにつれて、わかりやすく簡単な物が求められるようになるのは、当然の結果。
で、キャラ化ってのは非常にわかりやすいから、推し進められていくのも当然。
ま、俺は好きじゃないけど。
「今のオタクは〜」とか「昔のオタクは〜」とか語る時は、この物語性の欠如って点からも語れるんじゃないかな。
ただ、それでもやっぱり、昔もあった物が増えただけではあるんだけど。