嘘日記

 あまり面白い事では無いけれど、私は殺意の香りとでもいうような物を感じ取る事がある。街を歩いている時、電車に乗っている時、ふと漂ってくる強い香水の香りのように、それは私の鼻先を掠め、漂っていく。

 初めてそれに気付いたのは、私が小学生の頃、父が母を殺した年の事だった。
 いつからかわからないが、我が家には甘い果実が腐ったような、なんとも形容しがたい香り――といっても私はそれを通常の香りとは確実に違う物と自然に認識していた――が漂っていた。
 外から見てもわかるくらいに家族の関係は冷え切り、家の中にはテレビが垂れ流し続ける言葉しかなく、私だけが一人「行ってきます」、「ただいま」といった言葉を義務のように発していた。
 当時小学生の私にもわかるくらいに父と母の中は険悪だった。いや、父と母はそれを私に隠そうとすらしていなかったのだろう。時折両親の寝室からは争う声が聞こえた。
 私は子供ながらに両親の離婚を多少なりとも覚悟していたと思う。
 ある時、両親に家の中が臭う事について尋ねた事がある。この香りが通常のそれとどこか違う事は、なんとなく感じていたので、まるでガス漏れについて話す時のように「ねぇ、何か臭くない?」と聞いてみた。
 結果は予想していた通り、両親とも何も感じないと答え、そしてまた冷え切った日常に戻っていっただけだった。

 ある日私が学校から帰り、玄関をあけたら、その香りが嘘のように消えていた。かわりに漂っていたのは、鉄のような血の臭いだった。
 リビングのドアを開けた私が見たのは、首を切られマネキンのように倒れている母と、その横に時間が止まったように佇んでいる父、そして床に溢れた大量の赤いペンキだった。
 どのくらいの時間、そこで立ち尽くしていただろう。
 その赤いペンキが、母の首から流れ出た血だとようやく理解出来た時、父は私の顔を見て「お帰り」と言った。
 怖くはなかった、と思う。少なくともその時は。
 床に流れる母の血、その中に立つ父、右手に握られたままの包丁、赤く染まったワイシャツ、朝私が座った時は白かったはずなのに今では部分的に赤いクッション。
 それらの全てに麻痺したのか、逃げ出す事もせず、叫ぶでもなく、私はただ呆然と父を見て「ただいま」と答えた。
 父は、聞こえたのか聞こえないのか、何の反応もせず、廊下に向かい――私のいる方に向い――歩き出した。
 父の赤い足跡が増えるごとに、麻痺していた感覚が取り戻され、私は徐々に恐怖を感じていた。
 殺されるかもしれない。父の手にはまだ包丁が握られている。母を殺したのは父だろう。
 では何故? 何故私も殺される? 父は何をしようとしているのだろう?
 疑問と恐怖が、忘れていた夏休みの宿題のように押し寄せてきた。
 私はそこから動く事もできず、ただ私の中で増殖していく父への恐れを感じ、じっと父を見つめていた。近づいてくる父を。
 だが父は私の事をまるで見ていなかった。まるで先刻「お帰り」と言ったのが嘘であるかのように、父はそこにいる私の事を気にも留めていなかった。いや、私がそこにいる事にすら気付いていないようだった。
 父は私の横を通り過ぎ、廊下にある電話機の前まで歩き、そこで立ち止まった。受話器を上げ、誰でも知っている極単純な三桁のダイアルを押し、何か会話をしているようだった。
 この時、父が何を話していたのか、私は覚えていない。
 私の世界からは音が無くなり、私は父が廊下に残した赤いスタンプの数を何度も何度もかぞえていた。そこから先の記憶が、私には無い。

 気がついたとき、私は見知らぬ場所でスーツ姿の大人に「保護」されていた。
 それからはまるでコマ送りの映画のように、わけもわからぬまま過ぎていった。
 私はどうやら「可哀想な子」という事になり、知らない大人たちから何度も同情や憐憫の目で見られ、そして親戚の家に引き取られる事になった。
 私が「可哀想な子」である理由が始めはわからなかったが、母が殺され、そしてその母を殺したのが父であることが、どうやら私が「可哀想な子」である理由だろうと、そう思う事で自己解決した。

 あれから十数年がたった。
 私は特に親戚の家で冷遇されるなどということも無く、むしろ暖かく迎え入れられた。大学まで卒業させてもらい、無事就職もして、今では親戚の家を出てアパートを借り、毎日スーツを着て電車に乗り仕事に向かっている。
 金銭的に裕福とはいえないが、特に生活するのに困るほど貧しいわけでもなく、彼氏と呼べるような人はいないが、同僚や学生時代の友達との関係も良好だと思う。
 平凡だが何不自由ない生活。それを絵に描いたような生活を送っている。
 ただ一つ問題があるとしたら、あの臭いだろう。
 最近、仕事を終えて帰宅すると、私の部屋からあの臭いが漂ってくるのだ。
 甘い果実が腐ったような、あのなんとも形容しがたい臭いが。