WINWINの関係

就職活動を目前に控えた友人が、最近しきりに自己啓発的な本を読んでいる。
タイトルのWINWINの関係はその本の中よりの抜粋。
要はビジネスにはパレート改善的な考え方が必要ですよ、というだけの事なのだが。
これはビジネスに限らず、人間関係の大前提ではないだろうか。もっとも人間関係と括った場合、金銭的利益を指針とし易いビジネスと違い、感情等様々な要素が入るからわかっていても実行し難いのだが。
ちなみに僕は経済学は全くもって専門外なのだが、何故かゲーム理論がお題なので書いてみる。
(同様に法学等所謂「文系の中でも実社会に役に立つ分野」全般が専門外である)
ただ、経済学としてゲーム理論を学ぶというよりも、ゲームその物を考察する上でゲーム理論は興味深い。よってここでは本来経済学の用語を、それ以外の意味でも使用している。

さて、感情よりも理屈を重んじる僕は、日常生活においても常にパレート最適な行動を取りたいと考えている(実際行動する際にそこまで細かく考えたりはしないが)。
また同時に、他の人もそうであって欲しいと望んでいる。
つまり、僕は僕の得にならない所で他人の邪魔はしないし、他人も他人の得にならないなら僕の邪魔をしないでくれという、非常に押し付けがましい考えである。
そういった考えのせいか、冷たい人間と思われる事が多い(おそらく事実だ)。

例えば、我が子を殺された母親がいるとする。その目の前に、我が子を殺した男が刑期を終えて出所していたとする。
大抵の場合、母親はその出所した人間を罵倒するだろう。
例えば一生刑務所にいろと罵倒したとする。果たしてそれで誰が得をするのだ?
母親自身も、いくらその男を罵倒した所で子供が戻ってこない事は理解しているだろうし、罵倒すれば出所した人間がまた刑務所に入るわけでもない事はわかるだろう。
つまり、全くもって労力の無駄なのである。
日本の法律に乗っ取った裁判の結果刑期が決定し、その刑期を終えた為出所してきたわけで、犯人が出所する事が気に入らないのならば、刑期が長くなるよう判決の結果を変えるよう努力するか、法自体を変えて刑期が長く(あるいは死刑に)なるように努力した方が、よっぽど有意義(ここでは目標に向かった行為であるという意味)なのである。
と、まぁこんな事を言い出すのだから、冷たいと言われても仕方ないだろう。
この考えでは、感情という物が一切考慮されていない。
母親の目的が刑期を長くする事であったとしても、それが達成できず我が子を殺した人間が出所してしまった場合、目的は刑期を長くする事ではなく、自分の感情を発散する事に摩り替わるのだろう。
つまり、この状況で母親が犯人を罵倒するのは、パレート効率的ではないが自らの欲望に即した、有意義な行動なのである。

では感情を資源として考慮に入れた上で、パレート効率性を計れるかというと、これはもう間違いなく無理なわけである。
世の中には、ピーマンを食べる位なら人を殺した方がマシという人間だっているのだ。
結局の所感情を考慮に入れず測定出来る実利益で比較するしかない。もっともこの際、「感情は測定できないから」と感情全てを切り捨てている時点で、冷たいと言われて当然なのだが(自分でもそう思う)。
さてそんなこんなで長々と話したが、世の中にはパレート最適ではないナッシュ均衡で事態が停滞してしまう事が多い。
これもまた、感情が原因なのだ。
感情を否定するつもりはない。感情は重要だ。感情があるからこそ僕は生きていると言っても過言ではない。
だが、自分の感情は決して他人の感情ではないし、他人の感情もまた決して自分の感情ではないという、極当たり前の事実を、何故僕らはこうも簡単に忘れて過ごしてしまうのだろうか。