趣味としての読書。小説。

さて、本を読む奴は、日本人の1割程度と述べたが、そこで言われる「本」には、いわゆる資格取得の為の教材やら、高校生が原付免許を取得するために読んだ「一日で受かる原付免許」やらの本も含まれる。
なので、趣味として読書を楽しむ人間なんてのは、それよりも遙かに少数だ。
その中で「小説」などという根暗でオタクっぽいキモチ悪い本を読む奴なんてのは、さらにさらに少数であり、もう救いようのないアホどもである。


かろうじて、戦後の詰め込み主義的、教養主義的な学校教育関係者が(こういうのは大抵ただの教養コンプレックスだったりする)本を読むことを推奨してくれているおかげで、読書家には人権が保障されている。
だが、本来、読書家なんてのは道を歩いていれば石を投げられて、他の一般市民の方々と同じ席で食事を取ることもかなわず、銭湯ではお湯が汚れるからという理由で入浴拒否されて、家を借りるにも特定地域のボロ長屋しか借りられない、といった生活でおかしくない程の連中なのだ。


おいおいそこまで言うことないだろ、と思うあなた。甘い甘い。
連中は、おそらく義務教育中に受けたであろう「読書はいいこと」という教育を、いまだに信じて、日々読書していればいつかは報われるハズとばかりに、毎日シコシコと読書に勤しんでいるのである。
最早ここまで来ると、愚かを通り越して、憐れですらある。
彼らは、自分たちが救いようのないマイノリティで、既に過去の物となった教養主義洗脳された、どうしようもない存在だということに気付いていないのだ。
それどころか、彼らは「自分たちは読書をしている知識人であり、読書をしない連中の方がおかしい」と思っているフシすらある。
最早、アヤシイ宗教信者と変わりはない。


そんな彼らを救うには、現実を突きつけるしかないのだ。