日常-性転換編

 久しぶりに仕事が早く終わったので、帰り道、買い物をしてみた。
 会社から駅までの、三十分ほどの道のりを歩いて帰り、途中にあるハナマサと薬局で、食料品や日用品を買って帰った。どうやら私は、ウインドウショッピングは好きではないけれど、日用品やスーパーでの買い物は好きなようだ。
 重い買い物袋を下げて、電車に乗り、駅から自宅までの道を歩いているとき、無意識に鼻歌を歌ってしまったのも、きっと買い物をして気分が良くなっていたせいだろう。
 そうして鼻歌を歌いながら、二階建ての木造アパートの二階、一番端にある我が家へと帰る。
 玄関を開けると、どうやら同居人はもう帰宅しているようだった。
「ただいま。サユちゃんも早かったんだね」
 私がサユリと同居するようになって半年。帰ってきて家に人がいるということは、一人暮らしが長かった私にとって、とても懐かしくて、そして暖かい気持ちをもたらしてくれた。
「おかえり。ってあんた、何そないに買い物してきたん?」
 サユリが驚くのも無理はない。2キロの鶏もも肉500円、1.5キロの豚細切れ1000円、その他切れていた調味料や、シャンプーの予備や化粧品の予備など、私の両手には一杯に詰まった買い物袋が下がっていたのだから。
「うん。安かったから、お肉とか一杯買ってきた。シャンプーも切れてたから」
「あんたねぇ、一本電話よこしなさいよ。まったく」
 サユリは物腰こそ乱暴で、取っつきにくく見えるが、実は優しい。一緒に住むようになってそれがわかるまで、一ヶ月くらいかかったけれど。電話すれば、きっと迎えに来てくれて、一緒に荷物を持ってくれただろう。
「うん。平気。帰りにちょっと買い物するつもりだったんだけど、安かったしどうせなら一杯買って冷凍しておけばいいやと思って」
「そ。じゃとりあえず荷物置いて、あんたは着替えとき。肉は小分けして冷凍しておけばええ?」
「あ、うん、そうなんだけど、お夕飯の材料をこれからまた買いに行くから」
 ハナマサでお肉は沢山買ったけれど、今日の夕飯の材料は買っていなかった。
「あのねー、こんだけ買うたなら一緒に……ってこの荷物持ってさらにスーパー寄るのはしんどいな」
「ごめんね。すぐ買ってくるから。お夕飯ちょっと遅くなっちゃうけど」
「あー、いい、いい別に。まだ6時だし。じゃぁさ、とりあえずご飯炊いて、その間に買い物行こ?」
 きっと私一人に買い物を任せてしまうのも気が引けたのだろう。サユリはそう提案してくれた。
 結局、私がお米を研いで、ご飯を炊く準備をしている間に、サユリが計3.5キロものお肉を小分けして冷凍し、二人で買い物に行くことになった。


「あー、二人で買い物とか久しぶりやねぇ」
 スーパーまでの道を二人で歩いていると、サユリが言った。
 サユリはあまりスーパーなどで買い物をしない。元々外食派だったらしく、食事は外で済ませることが多いし、帰宅するのも遅いので、普段の買い物はコンビニなどで済ませているらしい。
「うん。二人そろってこんなに早く帰ってくるなんて、久しぶりだもんね」
「じゃぁ今日はちょっと腕によりをかけて、豪勢なディナーといきますか」
「サユちゃん、そんなに料理出来るの?」
「あほ。うちは食べるのと洗い物専門やから、あんたが美味しい物つくるに決まっとるやん」
「一応今日はチキンステーキの予定だったんだけど……」
「お、ええやん。じゃワインでも買って、ディナーやね。バターライスにチキンステーキ、そしてワイン。おしゃれやん?」
 以前聞いた話だと、サユリは鶏肉が好きらしい。ささみダイエットなるダイエットを実行中、鶏肉ばかり食べて、それ以来鶏肉が好物になったとのことだった。普通、逆に嫌いになると思うんだけど。
「でもサユちゃん、うち、和室だよ……」
「あーもう、こういうのは気分なの」


 そんなこんなで到着したスーパーは、丁度混む時間なのか、いつもより混雑していた。
「あー、ほらほら、見てみぃ、松茸売ってるやん」
「あ、本当だ。秋なんだね」
「秋やねぇ」
 特売の札の下に、パックされた松茸が並んでいる。その横には、木の箱に入った松茸もある。きっと木の箱の方が高級品なのだろう。
「ね、これ、買っちゃう? 秋の味覚といえば松茸。これ食べんと秋は語れへんよ」
「うーん、お肉は冷凍しておけば平気だから、買っても大丈夫だけど……高いよ?」
「えーっと、なに、こない小さいの二つで1000円もするん?」
「うん。しかもそれ、アメリカ産だって」
 パックされた松茸には、1000円という値札と、アメリカ産という表記がついていた。
「かーっ、アメリカ産の松茸って、ありがたみないなぁ。中国産ばっかりで国産は高いとは聞いてたけど、アメリカ産って。ねぇ?」
「なんか、情緒がないかもしれないね」
 アメリカ産の松茸。英語で松茸ってなんて言うんだろう? いずれにせよ、風情とかそういった物は感じられない気がする。
「あ、こっちに国産のあるやん。これ買おか」
 サユリが指差した先には、木箱に入った国産松茸があった。
「おー、国産は違うなぁ。ちゃんと箱に入って、神々しいなぁ。決めた。これ買お」
 確かに箱に入れられた松茸は、発砲トレーに入れられパックされただけのアメリカ産松茸と違い、見た目からして威厳のような物が感じられた。だが問題は値段である。
「サユちゃん、それ、値札見た方がいいよ……」
 見間違いでなければ、国産松茸に貼られている値札は、アメリカ産の松茸のそれよりもゼロが一つ多かった。
「い、一万円て……」
「うん……。やっぱり、やめとこ?」
「いーや、ここまで来たら買う! 一度決めたことを曲げたら女が廃る」
「でも、一万円だよ?」
「諭吉さんがなんぼのもんじゃい! 松茸でもキャビアでも持ってこいってんだ」
「サユちゃん落ち着いて……」
 引っ込みがつかなくなっているサユリに苦笑しつつ、改めて松茸を見る。
 一万かぁ……。ちなみに一万円とは、我が家の月の食費の約四分の一に相当する額である。
「夏かてスイカ食べたやん。秋には秋の味覚を食べんと、日本人失格やで。和室に住むなら和の心を尊ばんと」
「サユちゃん言ってることが目茶苦茶だよ。さっきはワインでディナーって言ってたのに」
「それはそれ、これはこれ。季節物は食べとこ」
 確かに、秋らしく松茸というのも乙なものかもしれない。ただ、やはり一万円という金額が最大の敵だった。松茸め。偉そうに木箱になんか入って……。
ちなみにサユちゃん、今日買ってきた鳥の胸肉2キロで500円ね」
「む、むむぅ。それめっちゃ安いやん。このちっぽけな松茸二本で、鶏肉40キロ分かぁ……」
「うん。松茸二本と、鶏肉40キロ、どっちがいい?」
「きゅ、究極の選択やね。松茸は捨てがたいけど、これ二本じゃお腹は膨れんし……うーん……」
 悩むサユリをその場において、混み合った店内をまわってみる。
 この時間は、丁度夕飯の買い物をする主婦と、仕事帰りの人の両方が重なる時間らしい。ビールとおつまみを買って、家で晩酌をするのであろう、一人暮らし風のサラリーマンや、お総菜を買っていくOLなど、店内は様々なお客さんで溢れていた。
 その中に、商品に触っては戻し、触っては戻し、としているおじさんを見つけた。
 スーパーには、なぜか時々こういうお客さんがいる。パックされたお肉を上から押して触ってみたり、野菜を一個一個手に取って押してみたりするお客さんだ。手に取るだけなら構わないと思うけれど、指の跡が付くほど押したり、中にはパックされた商品のラップを、ぐいぐい押して指で破ってしまう人もいる。おそらく鮮度を確かめたくてやっているのだろうが、正直、他の人にとっては迷惑でしかない。
 そのおじさんは、片っ端から商品を手にとって、触ってはまた戻すということを繰り返していた。
 さすがにやり過ぎじゃないかな、と思って見ていると、松茸を買うのをあきらめたのか、サユリがやってきた。
「サユちゃん、松茸あきらめたの?」
「うーん、どうしよか思ってね。相談しに来たんよ」
「秋の味覚なら、ほら、この茄子の一本漬けでもいいんじゃない?」
「せやねぇ。お嫁に行ったら秋茄子も食べられなくなるし、今のうちに食べとこか」
「じゃ、松茸はまた今度ってことで」
 よくわからない理由で(結局は値段が決め手だったのだけれど)松茸は却下され、茄子に変わった。
 かごに茄子のお漬け物を入れた時、例のおじさんが隣にやって来て、また商品を手にとって戻していた。
 さすがに見ていて気分が良くなかったので、その場を離れようとする。
「どうしたん?」
 サユリがそんな私の様子に気づいて、声をかけた。
「うん、ほら、あそこのおじさん、ちょっと変なの。さっきからああやって物を取っては戻しててさ。時々ああいうおばさんなんかもいるけど、流石にちょっとね……」
 目線で示しながら、サユリに小声で伝える。
 サユリは、しばらくおじさんの様子を見ていたが、やがて私の方に向き直り
「そない言うもんじゃないよ。ほら、あのおじさん、よく見てみ」
 と言って、おじさんを見るよう促した。
「ほら、別にラップを押したりしてるわけやないやろ? あのおじさん、白い杖持ってるやん」
「あ……」
 そこまで言われて、私はようやくおじさんの行動の意味を理解した。
 白い杖は、確か目の不自由な人が持つ杖だったはずだ。おじさんは、商品が見えないから、手にとって確認していたのだろう。
 それは「商品を確かめる」という意味では、パックしてある品を押して確認する人と変わらないけれど、でも、両者の行動は全然違った物だったのだ。
「何探してるのかわからないけど、何か探してるんと違う?」
「そうだね。あのおじさんさっきからこの辺にいるけど……。あっ、そうだ!」
 おじさんの行動の意味が理解出来れば、自ずとその目的も推測出来た。
 この辺は、先週までは乳製品売り場だったはずだ。それがつい最近売り場の位置が変わって、豆腐や納豆、お漬け物売り場になっている。おそらくあのおじさんは、今までの記憶を頼りに、何か乳製品を買おうとここまで来て、売り場が変わってしまって戸惑っているのだろう。
「私、ちょっと行ってくる」
「せやね。そうしぃ」
 サユリに買い物かごを預けて、おじさんの元へと歩く。見れば、店内は益々混雑してきており、目が不自由であろうおじさんは、一つ一つの品物を取るのも困難そうだった。
「あの、何かお探しですか?」
 丁度、豆腐を手に取っているおじさんに声をかける。
「QBBのチーズを探しているんだけど……」
「チーズ売り場なら、向こうに移っちゃってますよ。良かったら、一緒に行きましょうか?」
「あらら、そうかい。どうりで探しても見つからないと思った。それじゃお願いします」
 おじさんは、一見しただけでは目が不自由だとわからないほどしっかりした足取りで、まるで店内の何がどこにあるか完全に把握しているようだった。
 これじゃぁ、売り場の位置が変わったら凄い混乱するんだろうな、と思いながら、おじさんの手を取って、一緒に乳製品売り場へと向かう。
「チーズの他に、買う物はありますか?」
「他に売り場が変わったところはあるかい?」
「えっと、さっきまで居たところが、乳製品売り場から、納豆や豆腐とかの売り場になって、逆に今まで納豆とかを売っていたところが、乳製品売り場になったくらいです」
「なら大丈夫。あとの物は、場所が変わってなければ一人でも平気だから」
 おじさんは、全く目が見えないというわけではなく、ルーペを使って近くで見れば、かろうじて大きな文字なら判別出来るらしい。普段は、売り場の場所を覚えておいて、売り場まで行って、そこで商品を手に取って確認してから買うそうだ。
 それでも、私には想像も出来ないほど大変なのだろう。
「あ、でも、別に時間はあるので大丈夫ですよ。他に買う物があるなら、ご一緒します」
「いやいや、お連れさんが待ってるのでしょう? 本当に一人で大丈夫だから」
 なぜ私がサユリと一緒に来ているとわかったのだろう? そう疑問に思っていると
「ああ、目が見えない分、耳はいいですから。周りに人がいるかどうかとか、話し声とか、そういうことに敏感になるんです」
なるほど……」
 私は急に恥ずかしくなった。私がサユリと来ていることや、その会話が聞こえていたということは、私がおじさんのことを、「ちょっと変」だなどと言っていたことも、聞こえてしまっているのかもしれない。
「あの、すみません、私勝手に勘違いして……」
「いえ、いいんですよ。誰だって知らなければ変な人だと思って当然です」
 やはり聞こえてしまっていたらしい。恥ずかしさで自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
「すみません……」
「本当に、いいんですよ。こうしてお手伝いしてくれてるんですから、むしろ感謝したいくらいです」
 話を聞くと、なかなか声をかけてくれる人は少ないらしい。近くまで来てくれたり、人の気配がしたりはするのだけれど、声をかけるわけでなく、様子を伺っているであろう人が、意外に多いそうだ。
「まぁ、気恥ずかしいというか、見知らぬ人に声をかけるなんて、やっぱり抵抗あるんでしょうね。私が逆の立場だったとしても、多分そうだ」


 乳製品売り場までは、ほとんど案内も要らずに辿り着いた。売り場の位置は全て頭に入っているのだから、前に納豆があった辺りと言えば、すぐにそこまで行けるのは当然かもしれない。
 QBBの箱チーズを渡した時にも、
「ああ、前に絹ごし豆腐が置いてあった場所だね」
 と、すぐに覚えてしまった。
 その他に、新しい乳製品売り場に置いてある物の配置をいくつか聞かれ、教えたが、どれもすぐ覚えてしまっていた。
「お連れの方にも、ありがとうと伝えてください。ああ、それとね、アメリカ産松茸はやめておいた方がいい。アレは香りが全然違う。それじゃ、ありがとうございました」
 そんなところから話が聞かれていたのかと、私は益々顔を赤くし、サユリの元へと戻るのだった。


 余談だが、その日我が家の夕飯は、チキンステーキと、茄子の漬け物、それにミネストローネとご飯、そしてワインという、なんともちぐはぐな物となった。
 でも、サユリは「茄子の漬け物と赤ワインも意外と合うやん」と上機嫌だったから、とりあえずはよしとしておこう。
 そして、安易にアメリカ産松茸に逃げず、お金のある時に国産松茸を買おうという誓いを、二人で立てたのだった。