今更Coccoについて

勉強中、Coccoの「きらきら」をヘビーローテーションで聞いていた。
ファーストアルバムからずっとCoccoのアルバムを(ベスト以外)買い続けてきたわけだけど、随分これまでと印象が違う感じ。
なんかすげー明るい。
じゃぁそれが嫌なのかっつーと、そういうわけでもなくて、なんか女の暗部的力強さがあったファーストとかもいいんですけど、これはこれでいいですよ奥さん。
沖縄で開放的に「音を楽しんでいる」んだなぁ、音楽してるんだなぁ、という感じのアルバムになってまっせ。
基本的に人がウキウキしてる感じが好きなので、これはいい感じ。


なんで今更こんなこと書いてるかっつーと、「Coccoの最新アルバムは、なんか昔の痛々しさとかが無くなっててクソ」「Coccoは変わっちゃったよ。裏切られたよ」みたいなレビューを読んだからなわけで。
なんかCoccoっつーとこう、精神的にちょっとアレな感じで見られるというか、ファンにそういう人が多いのか、まぁそういう感じで同調されて「Cocco好き」って言うと「あなたも心に闇を抱えてるのね。私もよ」的に言われがちでもうアレがアレでアレなアレなんですけど。
俺自身としては、あんまし「怖い」とか「精神的に病んでる感じ」とかの印象は無いんですよ、はい。別にCoccoが超明るい人だろうと何だろうと、ああいう詩は書けるだろうし、媚びずに言葉に出来る感じが素敵! みたいな。ベクトル的に暗い方に向かった歌だったのは間違いないけど。
多分に女々しいところがあると自覚してるので、むしろそういう部分で共感したのかもね。


で、「きらきら」を聞いてみると、清々しいまでに爽やかというか、これもまた一面なんだなぁ、と納得出来るわけでして。
ブーゲンビリア」にせよ、「きらきら」にせよ、差別的意味を抜きに、女性的感性というか素直な感性でホントに綺麗に作られたという意味で(そのベクトルは違えど)同じ物だと思うわけで。


なんかね、他人様がどういう楽しみ方しようと自由なんだけど、「Cocco=病的」みたいなイメージが絶対で、そのイメージと変わっちゃったからダメなんだ! ってのはなんかね、うん。
自分の「こうあって欲しい」ってのを押しつけてる感じに見えちゃうわけですよ。


書いてて自分のあまりの語彙の貧困さと、なんで今更Coccoについて熱く語ってるんだろうと恥ずかしくなるけど、好きです「きらきら」。特に、「甘い香り」が。


多分Coccoは、海も山も森も人も好きなんだと思うよ。
ってこれも「こうあって欲しいCocco像」の押しつけだな。

あー

あー読み返すとなに言ってんだって感じだわ。
恥ずかしい。