blogとか掲示板とかネットコミュニケーションについて

割と早い時期(10年以上前くらい)から、ネット社会に触れてたおかげか、ネット特有の「ある程度匿名性のあるコミュニケーションスタイル」という物に慣れている&それを好んでいる方だと思う。
思うに、blogでも掲示板でも、ネットで読む不特定多数に向けた言説だのってのは「発言者の第一印象(外見)等よって言説内容自体の印象が左右されない」って部分が、一つのメリットだと思う。もちろん、文体だのなんだのの第一印象はあるんだけど。
ネットでも、匿名の発言を除き、発言を重ねる毎に「その人の信用度」みたいな物が作られていくわけだけど、少なくともリアルコミュニケーションみたいに、相手の立ち振る舞いだの声の質だの、外見だの、果ては社会的立場だの性別だのは、ネット上では意味を成さない*1
この辺が、ネットの利点でもあり、欠点でもあるわけで。


3+6=9みたいな、簡単な話なら、わざわざ「誰がそう言っているのか」を考慮しなくても、正しいと判断出来る。
でも、3×12+30÷22×11+5×(9−3)=228 みたいな話だと、「言ってる内容が正しいかどうか」を判断するよりも、発言者を見て「この人の発言は信じられるかどうか」で判断する人が、結構な割合でいるように思う。そして、その方が楽な場合ってのも存在する。
例えば、理学部教授なんて肩書きがついてたりすると、「まぁこの人なら間違わないだろう」と思って、検算もせず信じたり、逆に小学生の回答と知ると「小学生なら計算間違うかも」と信じなかったり。
単純な計算を例に挙げたわけだけど、これって計算に限らず、あらゆる発言に言えるんじゃねーかなーと。


なんたら学者って肩書きついてる人が「水に向かってありがとうと言えば綺麗な結晶が出来ます」とか言ったら、無条件で信じちゃう人ってのが、ある程度いるわけで。
逆に、同じ内容のことを、どこの誰とも知れぬ肩書きの無い人間が言ったら、「何アホなこと言ってんだ」と一蹴されるのは目に見えている。
この辺の「肩書きだの第一印象だのによる、言説の説得力」って部分を、取り除いてくれるって意味で、ネットってのは貴重だなぁと思う。


誰かが掲示板に書いた文章を読んで、俺が信じるかどうかは、書いた人の職業だのなんだのは一切関係なく、まさにその「書かれた内容」を見て判断するしか無いわけである。
どんなに「肩書きなんて関係ないぜ」と独立独歩を気取ったところで、やっぱ人間なので、「誰が言っているのか」を気にしてしまいがちだ。そこをフラットにしてくれるって点では、ネット、特に某匿名掲示板とかに関しての話になってしまうけど、一つの「価値」と言えるんじゃねーかなー、と思うわけである。

*1:ネット上でもこの辺に拘る人は見受けられるけれど、現状自己申告でしかないこれらの要素には、大した意味はないだろう