今度は風呂が付いたままだった

 その依頼者が来たのは、丁度僕が先生と、今年のチャンピオンズリーグの優勝チームがどこになるか、議論を交わしている最中だった。
 先生は、サッカーの話をしている時に邪魔が入るのをひどく嫌うので、僕は内心「ああ、タイミング悪いなぁ。また先生の機嫌が悪くなる」と思ったんだけれど、これも仕事なのだから仕方がない。こうやって仕方がないと思えることが、仕事の素晴らしいところなんだろう。
「佐々木探偵事務所へようこそ。何かお困りですか?」
 ここでは入ってきた人全てに、こう声をかけることになっている。僕はこの瞬間だけは、高級レストランのボーイになったつもりで、とっておきの笑顔を浮かべて、優しく声を出す。ここに来る依頼者は、多かれ少なかれ、多少の不安と猜疑心を抱えている。雑居ビルの三階にある、怪しい探偵事務所なんて、第一印象はそんな物だ。
「あの、ご相談したいことがあって来たんですけれど……」
 依頼者と思わしき女性は、部屋の奥で不機嫌そうに座っている先生を一瞥した後、僕に対しそう切り出した。
「それでは、こちらで話を伺いますので」
 そう言って、奥の応接室に案内する。
 依頼者から話を聞くのは、僕の仕事だ。最初は先生も同席していたのだけれど、依頼者がことごとく話の途中で逃げ帰ってしまうので、今では僕が話を聞いて、その後先生に伝えるという形になっている。
 もっとも、僕が話を聞いたところで、その後先生がほとんどの依頼を「気が乗らない」という理由で断ってしまうから、あまり意味はないのだけれど。
 応接室のソファに座るよう、依頼者の女性に勧め、僕も向かいに腰をかける。
 見たところ、年齢は二十代前半といったところだろうか。化粧気のない顔にはありありと不安が浮かんでいる。スタイルは普通、顔も普通と、まるで絵に描いたような「目立たない女の子」だった。学生ではないだろう。社会人1〜2年目といったところか。地方から出てきて、初めての一人暮らしにようやく慣れてきたところで、トラブル発生、それで生まれて初めて探偵事務所に来た。恐らくそんなところだろう。
 言い訳させてもらうと、僕はなにも他人を値踏みするのが好きなわけじゃない。これも仕事の一貫だ。
「それで、どういったご相談でしょうか」
 こちらから話を切り出す。大抵の依頼者は、切っ掛けさえ与えれば後は自分で話してくれる。その切っ掛けを与え、不安を取り除き、依頼者が話し出せるようにするのも、僕の役目だ。
「はい、あの……その……」
 初対面の人間に、話をするのが抵抗あるのだろう。もっとも、そんなことを言っていては探偵事務所に依頼など出来ないわけだが。
「ここで伺ったことは、職務上の守秘義務ってやつで第三者には漏らしませんので、ご安心ください。それと、まずはお話を伺うだけですから、お金などは頂きません。お話を伺って、ご依頼を受けるかどうか判断させて頂き、その後具体的な費用の話をしますので」
 他人に秘密を話すことへの心配と、お金の心配。大抵の場合、この二つが、探偵事務所に来る人が最初に抱える不安だ。そして僕は、この不安を取り除くとっておきの武器を持っている。
「あ、その、ごめんなさい、私そんなつもりじゃ」
「こんな雑居ビルに入ってる怪しい探偵事務所ですから、不安に思うのも無理はありませんけどね」
 微笑みながら、彼女に語りかける。
 僕は、僕のこの微笑みが、他人に対しどういう影響を与えるかを知っている。それを知った上で、ここぞという場面で効率的に利用させて貰っているというわけだ。
「ですから安心して、といっても無理かもしれませんけど、お話ください」
「はい」
 そういって彼女が語り出した内容は、概ね次のような内容だった。


 数ヶ月前から、出かけるときに確かに消したはずのトイレの電気が、帰宅するとついていることがあったということ。
 それ以来気をつけて、家を出る際には戸締まりや電気・ガス・水道などきちんと確認するようにしているのに、それでも帰宅したらトイレの電気がついていたことがあるということ。
 先月に入ってからはトイレの電気だけでなく、風呂のガスの元栓が空いていたことが毎週のようにあったということ。
 そしてつい先週からは、とうとうトイレの電気と風呂のガスの元栓だけでなく、部屋の電気まで付いていたということ。
 彼女の話によると、最初は電気がついているのは月に一度程度だったのが、今ではほぼ三日に一回この現象が起きているらしい。
「私、なんだか気味が悪くて……。家を出るときには、確かに消えていたんです。でも、会社から帰ってくると、消したはずの電気がついていて……」
 なるほど。ただの勘違いではないかと言いたくなるのを堪える。ここに来るということは、端から見ると馬鹿らしいことでも、依頼者は真剣なのだ。下手に否定すると、それはこちらに対する不信感に繋がる。
「お話はわかりました。誰か他の方に相談なさいましたか?」
「はい。ひょっとして、留守の間に誰かが入ってきているのではと思い、警察に。でも、真剣に取り合ってくれなくて……」
「無くなっている物などは無いんですね? ただ、電気がついていたり、ガスの元栓が空いたりしているだけで」
 僕が問いかけると、彼女は全身で同意を表すように、大きく頷いた。
「そうなんです。警察は、盗まれた物がないなら事件にはならないって。でも、私本当に不安で……」
「わかります。自分がいない間に、誰かが部屋に入ってるかもしれないなんて、僕でも気味が悪い」
 さて、どうした物か。依頼を受けて、話が彼女の勘違いであることを証明するのは簡単だろう。出かける時に、部屋にビデオカメラでもセットしておき、それを再生して見せてやればいい。もし誰かが侵入しているのなら、警察に通報すればいいだけの話だ。
 問題は、この依頼を先生が受けるかどうかだ。きっと先生は、今も隣の部屋で、この依頼者の女性が早く帰られないかとイライラしながら待っているに違いない。
「お話はわかりました。それでは、所長と細かい点を相談してきますので、しばらくお待ちください。隣の部屋にいたのが、うちの所長の佐々木ですので」
 まさか、「探偵のご機嫌を伺って、依頼を受けるかどうか相談してきます」とは言えない。
「はい。あの、お願いします」


「で、依頼受けたの? やだよ俺、そんなの」
 彼女の話を先生に伝えた後、先生が面倒臭そうに言った一言が、これだった。
「でも先生、彼女も困ってるみたいだし、ビデオカメラでも設置して録画させてもらえば済む話じゃないですか。それに先生、今月一件も依頼受けていません」
「あー、それなら、ビデオカメラはロッカーにあるから、設置してきてよ」
 そう言い終わると、先生は録画してあったサッカーの試合を見始めてしまった。こうなっては、何を言っても無駄である。


 結局、彼女の家にビデオを設置し、毎日録画された物を確認するということで話は落ち着いた。といっても、全ては僕が行うわけだが。
 彼女は自宅に戻るのも気味が悪いということで、一週間ほどホテルに滞在することになった。毎晩彼女が仕事から終わった後、連絡を入れてもらい、僕と一緒に彼女の自宅へ行き、ビデオを回収し、中身を確認して、また設置するという予定だ。
「では、とりあえずは一週間確認してみて、何か映っているようなら、警察に連絡しましょう」
「はい。お願いします」
「それと、もしご自宅に戻る用事がある場合は、用心のため一応こちらに連絡をお願いします。僕も同行しますので」
「わかりました」


 異変が起きたのは四日目だった。
 夜、彼女の仕事が終わった後、彼女の自宅に向かうと、窓から光が漏れていた。部屋の電気がついていたのである。
「あっ」
 それを見つけた彼女が、小さく驚いた声をあげる。僕としてみれば、とうとう来たという感じだ。
「電気、ついてますね」
 昨日の時点では、確かに電気は消していた。それから今まで、彼女も僕も、部屋には入っていない。となれば、第三者が部屋に入って電気を付けたことになる。
「部屋に向かいましょう。中に誰かがいるかもしれないから、気をつけて後ろからついてきてください」
 玄関のドアを開け、慎重に中を確かめる。確かに部屋の電気はついていた。

途中で面倒になってきた

だーっと三十分くらいかけて、「電気だけじゃなくとうとう風呂のガスまでついてたよ」って話を書いてたけど、根気が無くなってきたので中断。
読み返すと、中盤以降すげーやる気が無くなってるのがわかるな。