続・今度は風呂がついたままだった

誰が読むんだって話だけど、昨日の続き。

 部屋の中に誰もいないことを確認し、ビデオカメラを回収する。
 明かりのついた部屋の中を見て回ると、風呂のガスの元栓も開いていた。もちろんトイレの電気も。全て彼女が言った通りの状況だった。
 あとは、ビデオを再生して、この部屋に侵入したのが誰なのかを突き止めるだけだ。誰かが不法侵入しているのなら、警察に通報すればいい。そこからは警察の仕事だ。
「あの、ビデオ、今すぐ見るわけにはいきませんか」
 ビデオカメラを回収した僕に、彼女がそう言った。僕も同じ気持ちだ。少しでも早く確認してみたい。
「そうしましょう」
 そう答え、僕は持ってきたノートパソコンにビデオカメラを繋ぎ、再生を始めた。
 ビデオは昨日の夜、僕が録画ボタンを押したところから始まった。
 ビデオの中の僕は、彼女と一緒に戸締まりとガスの元栓などを確認している。やがて二人とも画面からフェードアウトして、部屋が暗くなり、玄関と思われる方向から僕らの声が聞こえ、そして扉の閉まる音がした。僕と彼女がこの部屋を後にしたのだ。
 間違いない。今、ビデオの中で、この部屋の電気は消えている。ビデオに映るのはただの暗闇だ。
「早送りしましょう」
 彼女にそう告げ、ビデオを早送りする。HDDに録画するタイプなので、早送りも一瞬だ。
 2時間後を見ても、3時間後を見ても、画面に映るのは暗闇だった。それは12時間後も、13時間後も同じだった。
 一時間おきに早送りして、再生を繰り返す。そしてついに、ビデオ録画を始めてから21時間後――つまり今僕らがこの部屋に来る3時間前の映像だ――ビデオに映る部屋は明るくなっていた。念のため最後の方まで早送りしていくと、最後には部屋に僕が入ってきて、カメラの録画を止めるシーンが映っていた。
「午後6時頃から7時頃までの間に、電気がついたようですね。この間を、早回しで確認してみます」
 彼女にそう告げ、一時間おきの早送りではなく、撮影開始20時間後から10倍速で再生する。
 カウンタのメモリが20時40分になる辺りで、部屋が明るくなっていた。だが、早すぎたせいか、そこに映るはずの部屋の電気をつけた張本人は、確認できない。
 今度は、撮影開始から20時30分後のカウンタの辺りから、等倍速で再生する。
 どんなに手を伸ばそうが、走りながら電気をつけようが、電気のスイッチは画面の中央に存在する。部屋が明るくなった瞬間、部屋の中にいる人間の顔まで確認出来るはずだ。なのに――
「なぜ、誰も映っていないんだ?」
 思わず、声を出していた。
 彼女も同じ気持ちだったらしく、二人で顔を見合わせる。
「一応確認しておきますが、ここの照明のスイッチは、あそこだけですよね?」
「ええ、もちろん。それに、リモコンの類もないので、あのスイッチを押さない限り、この部屋の電気はつけられないはずです」
 そう。この部屋の電気をつけるなら、あそこのスイッチを押すしかない。そのことを確認した上で、カメラの設置位置を決めたくらいだ。
 それに、もしリモコンで電気をつけられたとしても、ガスの元栓の問題が残っている。カメラは、ガスの元栓も確認出来る位置に設置してあるが、画面には暗闇の中で動く気配もなければ、暗闇の中ガスの元栓を捻る人物も映っていなかった。


 考えられる可能性は、三つある。
 一つは、カメラの録画忘れ。僕が昨晩録画を忘れ、今見ているこのビデオは一昨日の晩の物だというケース。だが、撮影日時を確認したところ、それは考えにくい。
 あるいは、カメラの不調。撮影日時が一日ずれて表示されていたり、たまたま誰かが明かりをつけるシーンだけ撮れなかったりといった不調の可能性もある。
 そして最後は、カメラに映らない誰かが、電気をつけていったというケース。この中では、最も厄介で、そして最も多いタイプの依頼だ。なぜだか、ウチにはこの手の依頼が多く来る。
 今回も、恐らく最後のケースだろう。そうなると、僕の手には負えない。
「ちょっと、ウチの事務所の者に連絡しますので」
 彼女に断りを入れてから部屋の外に出て、携帯電話を取り出し、先生の番号をダイアルする。
 電話は5コール目で繋がった。先生にしては珍しく電話に出るのが早い。
「先生、今、例の依頼者の家にいるのですが――」
「部屋の明かりがついていたのに、ビデオを確認したら誰も映っていなかった」
「え?」
 僕が説明する前に、先生が状況を言い当てる。
「違ったか? 君から電話がかかってきたということは、そういうことだと思ったんだけどね」
 この人は、最初からこうなることがわかっていたのだろうか。
「合ってます。そして、それで困っています。先生、今からこちらに来て頂けませんか? 恐らく先生向きのケースだと思うのですが」
 先生向きのケース。目に見えない、カメラに映らない『何か』が絡むなら、それは先生向きだ。
「嫌だよ。面倒くさい」
「そんなこと言っても、これを解決出来るのは先生しかいないじゃないですか」
 先生は、珍しく『先生向きのケース』の依頼にも関わらず、腰が重そうだった。いつもなら、この手の話には進んで乗るくせに。
「解決する必要なんてあるのかね。部屋の明かりとかがたまに勝手についてるってだけだろ。それほど実害があるわけでもない」
「依頼者は女性です。一人暮らしの女性の家でそんなことがあるなんて、依頼者の精神的負担を考えれば十分実害があるでしょう」
 先生くらいの神経の持ち主ならともかく、帰ったら部屋の明かりがついているというのは、あまり愉快なことではないだろう。ましてそれが自分の消し忘れではないとハッキリしているならば余計だ。
「わかったよ。今から行くから、そこで30分くらい待ってて」
「ここでですか?」
「そう。そこで。それじゃ」
 そういうと、先生は電話を切ってしまった。
 勝手に電気がつく部屋で、二人で待つだなんて。そこまで考えて、彼女を部屋の中に残していたことを思い出す。依頼者をこんな部屋に一人で残すなんて、気が動転していたとしか言いようがない。
 部屋に戻ると、彼女が声をかけてきた。
「どうなりました?」
「えっと、事務所の先生がここに来ることになりました。30分くらいで着くそうです。その間、どこか他のところで待ちましょうか」
「いえ、ここで平気です」
 意外にも、彼女はこの部屋に対し、あまり不快感を感じていないようだ。
 近くのファミレスや喫茶店に行くことも提案したが、結局この部屋で待つこととなった。
 そして30分後、先生がやって来た。





 俺がその部屋を見た最初の感想は、「やっぱりな」である。
 この手の現象は「起こりやすい場所」というのが存在する。ここの場合、たまたま「通り道」だったため、頻発したのだろう。
 対処は簡単だ。ちょっとお願いして、迂回して貰うようにすればいい。
 部屋に入り即座に作業を進める。その間助手が脇でなにやら喚いていたが、気にしないことにした。
 とにかく早く終わらせて早く帰ってしまいたかった。
 全ての作業が終わり、助手と依頼者の女性に、一応の説明をする。といっても、俺の説明は分かり難いようなので、どこまで理解して貰えるかは不明だが。
 何にせよ、これで依頼は解決。今回の俺の仕事は終わりだ。あとは家に帰って、風呂に入って寝るだけ、なのに、助手のヤツが中々帰してくれそうになかった。



「つまり、簡単に言うと、ここが通り道で、通るときに『ひっかかって』明かりがついたりガスの元栓が開いたりしてたんだ」
「先生、毎度のことながら、もっと僕らにも分かり易く言ってください」
「だから、犯人――というのがこの場合適切かはわからないが――は特に悪意があったわけでもなく、たまたまここを通るときに、ひっかかってしまっていただけだということだ。そして先ほど、ここを通らないようにお願いしておいたから、これからは心配ない」
 相変わらず、先生の説明は意味不明だった。
 僕はこれに慣れているから良いような物の、依頼者の彼女にしてみれば、全く納得出来ない説明だろう。
「先生、誰が通って、何がどうひっかかって、それでなんで部屋の明かりがつくんですか。大体、勝手に人の部屋を通るなんて、不法侵入じゃないですか」
 この際、なぜカメラに映らなかったのかは置いておく。先生の話についていくなら、その辺は目をつぶらないといけない。
「不法侵入か。君は面白いことを言うな。うん、確かに不法侵入だ」
 先生は、一人で納得したように頷いている。
「先生、犯罪ですよ。再犯が起きないとも言えませんし、勝手に部屋に入れるなら、今後もっと大きな事件になってしまうかもしれない」
「さっきも言っただろう。ここを通らないようにお願いしたから、これからは心配ない。もう、部屋の明かりが勝手についたりすることもない」
 心配はない。その一言で、心配せずにいられるなら最初から探偵事務所に依頼などしないだろう。だが、僕は知っている。先生が「心配ない」と言えば、それは本当に解決済みで、心配は要らないのだと。
 ただ、問題は、依頼者にそれをどう納得して貰うかだ。僕の仕事は、「依頼を聞くこと」「先生が解決したのをなんとか納得して貰うこと」の二つに尽きるといっても過言ではない。そして特に後者は、とてつもなく難しい仕事だった。
「あの……」
 僕が依頼者の彼女にどう説明するか悩んでいると、それまで僕らのやりとりを見ているだけだった彼女が、口を開いた。
「なんだかよくわかりませんが、とにかく、もう心配は要らないということですね。もう、帰ってきたら、朝消したはずの明かりがついていることもない、ということでいいのでしょうか?」
「その通り。さすがに君は理解が早い。依頼は解決ということだ。だから俺は帰るよ」
「わかりました。本当に、ありがとうございます」
 驚いた。僕ですら完全に納得は出来ないのに、彼女は先生の説明だけで、納得してしまったらしい。
「それで、依頼料などは……」
「ああ、俺も彼も今日のところは帰るから、依頼料は後日また事務所に持ってきてくれたらいいよ。もっとも、来られたらの話だけどね。それじゃ」
 そういうと先生は、僕に向かって「おい帰るぞ」といって、部屋を出て行ってしまった。僕も依頼者の彼女に慌てて挨拶し、後を追う。


 外に出ると、先生は自販機で缶コーヒーを買っているところだった。
「先生、どうしてそんなに慌てて帰るんですか」
 今日はサッカーの試合中継は無いはずだ。それなのに、依頼料の話もそこそこに帰ってしまうなんて、今日の先生はおかしい。
「君は気付かないかもしれないけどね、俺はあそこに長くいたくないの。あそこはそういう場所なわけ」
 どうにも意味がわからない答えに聞こえるが、きっと先生にしか感じられない『何か』を感じたのだろう。
 先生は、いわゆる『そういうモノ』に敏感な体質らしい。先生に言わせれば、目に見えないモノ、カメラに映らないモノは確かに存在していて、それがちょっとした切っ掛けで、今回のように『こちら側』に影響を及ぼすそうだ。
 幸か不幸か、僕は『そういうモノ』に対し全く縁がない。見たことも無ければ聞いたことも、感じたことも無かった。
「やっぱり、今回のってアレですか」
 僕も自販機で、暖かい紅茶を買う。
「ああ。今回のはね、渋谷のスクランブル交差点みたいな場所だよ。みんながあそこを通り道にしてたから、転んだりぶつかったりすることも多くなって、スイッチがついたり、引っかかったまんまになったりしていたんだ」
「僕は何にも感じませんでしたけどね。ビデオで見て、誰もいないのに明かりがついたところとかは、少し気味が悪かったですけど」
 これまでも先生のそばで、この手の依頼を見てきたことが何度かあったが、今まで一度たりとも、『そういうモノ』の存在を感じたことは無かった。僕が佐々木探偵事務所で助手として重宝されている主な理由の一つが、これである。他の事務員の人などは、気味悪がって辞めてしまうのだ。
「君は鈍感だからな。あれほどのを見ても何も感じないとはね」
「悪かったですね。僕は超常現象否定派なんです」
「なら、君も今回を境に考えが変わるだろう。ビデオカメラは回収してきたか?」
 先生がコーヒーを飲み干して、空き缶をごみ箱に捨てて歩き出す。 
もちろんです」
 僕も紅茶を飲み干し、同じように空き缶をごみ箱に捨てて先生の後を追った。
「なら、帰ったらビデオをよく見てみることだね」
 どういう意味ですか? と尋ねたが、結局この日は、先生は答えてくれなかった。
 そして後日、僕は何度もビデオを見返して、その意味を知ることとなる。
 ビデオには、確かに何も映っていなかった。何も映っていない中、電気が勝手について、そしてビデオは『僕一人だけ』が部屋に入って、ビデオカメラの録画を止めるところで終わっていた。
 あれ以来、依頼者の彼女が依頼料を払いに来ることは、今のところ、ない。