売ってない

この数日間、経堂、千歳船橋、下北沢と本屋を巡ったが、どこにも「おもいでエマノン」が売ってない。
amazonで頼むと、来るまでに時間がかかるのと、なるべく本屋で買いたかったから本屋巡りをしたわけだが、どうにもこうにも千歳船橋と経堂にはろくな本屋が無い感じ。
最近本買ってなかったから気付かなかったけど、こりゃ本買うとき苦労するな。
下北の本屋は、品揃えはマニアックだけど偏ってる感じだし。


というわけで、仕方なくamazonで購入。
更に1500円以上で送料無料につられて、福満しげゆきの漫画も購入。

[社会とか]酔った勢いで言ったこと

上の漫画の話にも関係するのだが、先日酔った勢いで言ったことを私的にまとめ。

  • よーするに俺は、自分の好きな物を「なぜ好きか」体系立てて説明したいわけであり、「ただ好き」「なんとなく好き」というのが嫌い
  • オタクってのは一般的に理屈屋で、持論をこねくり回して自己正当化するもんだと思ってる
  • 故に俺はオタク
  • でも、近年のオタクを見ると、ただアニメ見て「面白かった」「萌えた」で終わってるだけで、そっから「先」がねーんじゃねーのか?
  • アニメ見てフィギア買って、DVDボックス買って、って、消費イコールオタクじゃねーだろ。そりゃ消費社会的には、そっちの方が便利な存在だから、そういう風に煽るんだろうけど
  • 「物」を所有するのはコレクターであり、「物」にまつわる情報・知識を溜め込んで喜ぶのがオタクだと思ってたんだけど、どうもそうじゃないみたいだなぁ。
    (後者でも、情報を得る媒体として物が必要なため、自然と物は購入する)
  • まぁまとめると、なんかいわゆる「今のオタク」と合わねぇや、俺。



別にこんなもん、どっちが正しいとかどっちが偉いとかないんだけど、単純に、「オタク」というマイノリティの中ですら更にマイノリティな部類になってしまうのが、悲しいというか嫌というか。
ネットに光が当たった時、僕等日陰者は更に深い所でひっそりと生きることを余儀なくされたように、オタクに光が当たった時、僕等日陰者はやはりひっそりと生きるしか無いのでしょうか。
だからこそ、声高に主張しちゃうんだわな。
鶴田謙二黒田硫黄も読んだことない奴なんて、漫画好きだなんて認めねぇ!!」と。


前提が違うんだよ。三国志演義を読んで呂布が好きって言ってる奴と、真三國無双やって呂布が好きって言ってる奴とでは。
どっちの「好き」も同じ「好き」で、どっちが偉いとか、どっちが正しいとかは無いわけで。
でもね。
うん、でもね。っていう。