要するに何も考えずタイピングした結果

「構成練るだの推敲するだのを、人並みにやることもあるけれどね、大抵は勢いで書いてるだけなんだよ」
 二杯目の日本酒に口をつけながら、彼はそう嘯いた。
「はぁ、そうなんですか」
 僕としては、こう答えるしかない。
 なんて運が悪いんだろう。たまに一人で飲むと、決まってこの手の輩に絡まれる。
「なぁ、聞いてるか? 俺はさ、普段はあんまり表に出ないわけよ。そりゃ体面ってのもあるし、社会生活っていうの? そういうのを、半ば捨ててるとはいえ、捨てきるだけの勇気もないわけじゃん」
「ええ、それで、時々こうやって出てくるんでしたっけ」
 いい迷惑である。僕は体面をそれほど気にしているつもりはないが、社会生活を半ば捨てているつもりもない。
要するにね、あー、あれだな、俺以外のみんなもそうなんだと思うよ。心の、ずっと奥の方にさ、溜め込んでるわけよ」
 何を? と訊きたかったが、下手に突けば面倒なことになるのは目に見えていたので、黙って頷く。
「溜めて溜めてさぁ、そんで、人の見てない所とかで発散するわけよ。溜めて発散。まるでオナニーみたいだな」
 そういうと、男は下品に笑った。苦手なタイプである。
 この手の男は、「あえてタブー視されていることを平然と言ってみせる自分」を格好いいとでも思っているのだろう。
「大体さ、『嘘日記』っての? この呼び方がまず、自意識の現れだろ。誰が読むんだっつーの」
「ええ、本当に」
 男は三杯目を注ぎながら、なおも話続ける。
「嘘だから、何書いてもいいってか。あらかじめ嘘って宣言してるから、許されるってか。ええ? どうなのよ、そこんところ」
「はぁ。まぁ、その辺僕に言われましても……」
「大体よぉ、書いてる内容見りゃ、もうただひたすらにテメーのことだろ。ここまで来ると、ある意味天晴れとも言えるのかもしれないなぁ」
「何がです?」
 訊いてから、しまったと思った。興味などないはずなのに、つい訊いてしまった。これで話は更に長くなるだろう。
 案の定、男は訊かれたことが嬉しかったらしく、得意げにこちらに顔を寄せて話し続けている。
「何がってよぉ、そりゃ、オナニーってのは人の見てない所でやるもんだろ。それを、こんだけ人に見られる可能性のある場所で、恥ずかしげもなくやってることがだよ。露出癖もここまで来れば天晴れってヤツだ」
 そうだろうか? 確かに、人前に晒していること自体は確かだ。だが、僕はどうも男の言うことに納得のいかない物を感じていた。
「もうね、ここまで吹っ切れたら、ある意味すげーと思うよ。フツーは出来ないぜ。いくら溜めた物を吐き出しているといっても、フツーは人の見てない所でやるもんだ。それをここまで人前でやってるんだからな」
 やはり何か違う。男の言うことに、妙な違和感を感じる。
 人前で吐き出しているのは事実だろう。そして、吐き出し役は目の前の男だ。
 偽悪的に自らを晒し、世の中を敵意に満ちた目で見、何も知らない無垢な少女にコートを捲って自らの裸体を見せるような、そんなことを繰り返して……。
 そうか。ここだ。僕の感じていた違和感は。
「だからね、世の気取った連中に言ってやるのさ。テメーらここまで自分を晒せるかって――」
「ちょっと待って下さい」
 男の話に割り込む。僕の中で膨らんでいた違和感は、ちょっとした切っ掛けで今や確信に変わりつつある。
「あなたは、先ほど言いましたね。『人前で自分を晒せるから凄い』って」
「お、おうよ。それがどうした? 凄いことだろう。これだけ自分を隠して生きてる連中が多い中で――」
 男は少し戸惑っている。それはそうだろう。今まで静かに話を聞くだけだった僕が、突然態度を変えたのだから。
「違うんですよ。そこが違うんです。結局、何も晒していないんですよ。いや、確かに晒している部分はある。けどね、晒す部分は自らが選択しているんです」
「そりゃ、どういう意味だい」
「いいですか――」
 僕は男の目をじっと見つめる。ここから先を言って良いのか、聞く気があるのかの確認だ。
 男は黙って僕の目を見返している。それを了承の合図と取って、話を続けた。
「結局ね、ただの偽悪趣味なんですよ。本気で悪に染まりきる気もないくせに、ウブな子供に無修正のポルノを見せて喜ぶようなね。そのくせ、自分のセックスは見せようとはしない。自分が見せたら困るところは見せないで、相手が見たら嫌がるような所ばかりを選択して、『自分をさらけ出しているフリ』をしているんです。
 本当の本当に見せられない部分は、今までもこれからも、見せることはないでしょう。
 ギリギリの、『見られたら恥ずかしいけれど、それほど問題にもならない』という部分だけを選んで見せてるに過ぎないんです。結局は、プライドが高いんでしょうね。でも、そのプライドを普通には満たせない。だから、『自分を晒せる人間なんだ』なんてロクでもない方法で自分の存在は高尚だと押し上げて、自分のプライドを満足させている、それだけのことです」
「そ、そりゃ……」
 男は言葉に詰まる。そうだろう、今まさに、自分の存在価値が否定されているのだから。
「社会性が無いだのなんだのも、ただのポーズじゃないですか。逆選民意識とでも言うんですかね。結局、自分は特別だって証明したいだけでしょう。口ばかりで行動出来ない自分でも、言葉だけの世界なら許される。行動が伴っているか否かは、ここでは問題とされない――確認する手段がありませんからね――そんな場所で、『俺は自分をさらけ出して、世の中に文句を言ってる高尚な人間なんだ』ってアピールしてるだけですよ」
 一気に喋り続け、気がつくと、男は目の前から消えていた。
 分が悪いと見て撤退したのか、それとも存在価値が失われ消滅したのか、あるいは別な理由でいなくなったのか、それは僕にはわからない。
 だが、男がいなくなって全てが解決したわけではない。その事も僕は知っていた。
「僕が今こうして喋っていること、これも『見せられる範囲で自分を晒している』行為の一部なんだ。
 結局、ここに書かれること全てが自己意識の産物なんだ。その点で、僕は永遠にこの檻から逃れることは出来ないし、ここも永遠に檻であり続けるんだ」
 話していて、気分が悪くなって来る。これが僕自身の内から生まれた物なのか、あるいは僕にこれ以上話させまいとする誰かの手による物なのかはわからない。
「こうして僕に自分語りをさせているのだって、酔っぱらいの男を登場させて僕と会話させているのだって、全てポーズだ。あなたは肥大した自己意識を恥じ、それを悟られまいとするために自らを晒してるポーズを取り、そして客体の象徴として僕らを創造する。だけれど、それは全て逆効果だ。僕らはあなたの内から生まれ、吐き出す言葉は全てあなたの内にある物で、またあなたの内に向けてだ。そう、結局あなたは、自己意識が発達する段階で止まっている、ただの子供に過ぎない」
 とうとう僕自身の意識も薄れてきた。いや、薄れさせられてきたと言った方が適切か。
 これ以上僕に喋らせたくないのか、あるいはただ喋らせるのが面倒になっただけなのか、何れにせよ、幕を引きたがっているのは確かだ。
「あなたはきっとこう言うだろう。『でもそれは僕だけではない』『他の皆も同じように溜めた物があるはずだ』『他の皆も自分自身を見続けているはずだ』と。確かにそう言っておけば、あなたは安全だ。でも、それをどう証明する? あなたの周りの人間が何を考えているかなんて、あなたには生涯わからない。あなただけじゃない。魂の交換でもしない限り、永遠に誰にもわからないんだ」
 最早これ以上喋ることは出来そうにない。
 だが、ここでまた気付いてしまったことがある。
 『僕が喋る』というその事自体もまた、彼の手による物であり、『僕が喋る』その事で、彼は何らかの満足を得ているはずなのだ。
 そして、ある程度の満足を得たか、あるいは面倒になったから、今こうして僕は消されていっているに過ぎない。
 だとしたら、この『僕』はなんだ? たったそれだけの、そのためだけの存在として生み出された『僕』は。
 時間にして、30分にも満たないタイピング中に、予定調和の台詞を喋らせられただけの僕は――ああ、もうこれ以上考える事も適わない。
 タイプするのも億劫に、なったんだろう、僕は、もう、


――なんだこりゃ。思いつくままにタイピングした結果を見て、思わず呟いた。
やたら自意識過剰な感じの『僕』とやらが延々と喋り続けている。誰に向かってだか知らないが。
そもそも、設定が不明だ。酒を飲んでいる所からすると、居酒屋か? 最初に出てきた男は、本当に出す必要あったのか?
大体話がまとまってない上に、中二病過ぎる。
思いつくままにタイピングするもんじゃないな。
そう思いながらも、投稿ボタンを押す。
まぁ、せっかくダラダラタイピングしたんだし、消す必要もないだろ。


「――この文章自体が、あなたの言い訳になるわけだ」
投稿ボタンを押す時、どこかから声が聞こえた気がした。