ネットの人間関係なんて元々遠いものでは?

ネットの人間関係を遠くに感じてみては? - タケルンバ卿日記


別に自分が名指しで言われたわけでもないけれど、上の記事を読んでちょっと疑問に思ったので言及してみる。
あちこちネットを巡回して、こうしてトラバ送ったりコメント書いたり言及したりしているけれど、別にケンカしているって意識はねぇんだよなあと。あっちゃこっちゃで反論したりされたり罵られたりしとるわけですが、そういうのを出来るのがネットの良さだと思う。オレそういうの大好き。むしろ実生活でそこまでしたら、社会不適合者のレッテルを貼られて、生きにくくてダメだ。

怒るのはエネルギーがいる

確かに怒るのにはエネルギーが要るんだけど、ネットで言い合いしてる時って、そもそも怒ってないことが多い。オレも人一倍短気なんだけど、目の前の誰かじゃないどっかの誰かが何やってても、怒るためのエネルギーって程にはならない。怒りって、直接迷惑かけられたりした時に生まれるものじゃない?
ネットの人間関係なんて、直接迷惑駆けられるほど近くないし。

怒る時は目の前でやらない

そういう疲れることを、誰かの目の前でやっても、意味ないと思うんですよ、オレの場合。対象が明確故に、目の前でガーッと言ったり、胸倉掴んだり、にらみつけたりしちゃいそうだし、目の前に怒る相手がいる状況で怒ってしまうと、後々色々問題になると思うんですよ*1。自制して怒りメーターが振り切れんのです。
かといって誰もいないところで怒っても意味無いから、結局注意という形になって、それを聞いてくれないと「あ、言っても無駄なんだ」と思って付き合うのやめちゃう。
あ、でも、「怒っておかないと損」って場面もあるから、まぁここは話半分で。

満足できる

そもそも、言い合いだの論争だのをしている理由が「怒り」ではなく、「この人はこう言っているけど、それは違うんじゃないか」「この人はこう言っているけれど、こういう見方もあるのではないか」といった疑問を解決するために、直接ぶつけてみようって感じだから、直接言い合いになってスッキリしたらとても満足できる。


また一方通行で相手が反応してくれなかったとしても、他の人が応えてくれたり、少なくともオレが言及することで、「こういう意見もあるんだぜ」ってこと自体は確実に表明出来るから、すげー意味があるんだよな、オレの場合。

ムッとはするよ

けど、それ以上に相手をムッとさせてないかの方が怖いよ。
多分タケルンバ卿みたいな人相手に、議論だのなんだのをネット上で吹っ掛けても、「意味ねーしやらねーよw」とか思われちゃうんだろうなぁ。だからこういう言及もウザイかも、とか、ネガティブに考える。


ただ、所詮ネット上の人だし、ムッとさせたからって無視してよそのページに移れば忘れてくれるだろうから、とりあえず言うだけ言ってみるってスタンスの方が、得かなと思う。自分で考えるのはネットじゃなくても出来るけど、人に意見をぶつけたり、人からぶつけられたりが簡単にできるのは、ネットの良いところだと思うから。
でも頭悪いから2chでくだらない意見をぶつけ合ったりしちゃう。

ネット上で見るのもまた、直接目で見た物である

そもそもオレは、自分の目で見たものもあまり信用しないのです。所詮オレというバイアスがかかったものだし。
まぁそれは置いておいて、リアルとネットって、別物でありつつも別物ではないよね。
オレがどんなにリアルじゃこの日記からは想像もつかない奴だったとしても、この日記もまた、オレの一部(それが暗部だったとしても)であることには変わりないし。

会わずに評価できる素晴らしさ

ネットの良い所って、リアルの肩書きとかを消そうと思えばかなりのレベルで消せるところだと思うんだよね。
肩書きを隠して書いている場合、偉い発明家のブログも、凶悪な犯罪者のブログも、結局は書いてる内容だけで評価されるって意味でね。だからオレは好きなこと書いてる人ほど会いたくない。その人が好きなんじゃなくて、その人の書いたことが好きなんですよ。


会って、どんな人物か知ってしまうと、その人の印象だの余計な情報が入ってきて、その情報の中でその人の書いた記事を判断してしまうから。
あらゆる属性・肩書き・経歴を一切無視して見られるのが、「文字だけの世界」の一つの良さだと思う。
会ってしまうと、そうはいかない。

ケンカしなくてどうすんの?

そんなわけで、会社でケンカ吹っ掛ければ仕事し辛くなるし、学校でやれば友達いなくなる状況で、ネットというバーチャルな世界で、相手の実態がどうであるかわからないからこそ、ブログだけの文字情報とかだけの世界だからこそ、気軽に「ちょっと待ったそれ違うんじゃないの」って言えると思うんです、オレには。「どこの誰だか知らないけどオレはアンタの発言見てこう思ったぜ」って気軽に書ける場なんて、そうそうあるもんじゃないと思うんです。


正直、本当に嫌い・憎いという感情だったら、家調べるなりして直接殴ったりなんだりする。けど、別に嫌いでトラバしたりコメント書いたりしているわけじゃないから、そんなことはない。
だって、「その人の人格」に対してあーだこーだ言っているわけじゃなく、あくまで「その人が書いた一意見」に対して、あーだこーだ言ってるわけだし。


それに、リアルじゃこの「人格と意見の区別」ってのができないしな。オレ含めできない人が多い。
間違った意見に対し反論すると、「あいつはオレが嫌いなんだ!」とか言われる始末。
ムラ社会だのモヒカンだのの話になるのかもしれないけどさ。

積極的な関心

もう少し、積極的な関心を発揮してもいい場面だと思うんだけどね。
実生活をまともに営んでいたら、それこそ「無関心を装ってやり過ごす」のが得策な場面に、毎日のように遭遇する。
そういうのばかりだと疲れちゃうじゃん。またそういうのを続けていくと、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」的な人が増えて来ちゃうし。荒らんだ世の中になっていくのよね。そういうのが下手な人は生き辛くなるし。


そんな中で、ネットでは「リアルだったら今後の人間関係考えて言えないこと、聞けないこと」も簡単に言える。


もちろんmixiとかで「マイミクは全部職場の同僚や同級生や友人ばっかりです」なんて人だったら、mixi上でも現実と同じように言いたいことが言えないなんてことあるだろうけどさ。
果たしてそれってネットの特異的文化を享受していることになるのかな? オレにはちょっと疑問。
リアルの人を遠ざける必要はないけど、リアルの人で固めてコミュニケーション取るだけなら、「便利なコミュニケーションツール」の延長でしかないよね。
もう少し、「ネットでしかできない使い方」をしてもいいんじゃないのかな?
建前だけじゃ疲れちゃう。面倒じゃん。大変じゃん。って人も世の中にはいるんだよ。


言葉ひとつひとつ、表現ひとつひとつに対し、反対意見・賛同意見を簡単に言えるなんて、キリがないじゃん。テンション上がりまくりだわさ。
ぼんやりネット見てるだけでも、自分と考えの違う沢山の人や、自分と似た考えの人が簡単に見つかる。
どうせ遠くの誰かが勝手に書いてることなんだし、その際、疑問に思ったことや、気になったことを気軽に聞いてみればいい。直接自分の目の前で言ってるようなことじゃないんだし、相手はそんな近くにいない。そういう人に気軽に意見を言って怒らせても、殴られる心配もない。
変なこと言って指摘されても、それで給料が下がるわけでもない。



例えば中学生の頃、本を読んで
「でもコレってこうじゃねぇの? あー、この本書いたオッサンに直接訊いてみたいわぁ」
とか思ってたことが、簡単にできるのが、ネットの良いところだと思うわけです。
そしてそれを簡単に行うためにも、ネット上では身軽な方が良いというのが、僕のスタンス。
(あるいはネット上においては別人を装うことも簡単であるから、「身軽なアカウント」「知人友人で雁字搦めになってるアカウント」と使い分けるって手もあるけど)

*1:またそういう経験が多いんだ、これが