三年前のこと

あれは丁度三年前、義父の葬儀から帰る時のことだ。
都内へ帰る車の中、僕は助手席に彼女を乗せ、重苦しい空気の中車を走らせていた。
亡くなったのは彼女の父で、彼女は葬儀の最中も、帰りの車の中でも目を赤くしていた。
僕はといえば、こんな時にどういう言葉をかけるべきなのかもわからず、ただ途方に暮れながら、黙って車を運転するだけだった。
丁度、利根川を越えた頃、助手席に座る彼女がポツリと言葉を漏らした。


「ねぇ、こんなに苦しいことが、これからも続くの?
 父さんが死んで、きっと近いうちに母さんも死んで、叔母さんも、友達も、私より先に死ぬ人たちの数だけ、こんなに苦しい思いをしなくちゃいけないの?
 今だって、堪えようがないくらいに悲しいのに」


多分彼女はナーバスになっていたのだと思う。
人は死ぬ。それは仕方のないことだ。
近しい人が死ねば悲しい。だけれど、それが嫌だからといって、近しい人に死ぬなといったって、無理がある。


「永遠に悲しいままのわけじゃないよ。悲しいこともいっぱいあるけれど、嬉しいことだってきっとあるさ」


月並みな励ましも、彼女には効果がなかった。


もちろん、生きる喜びがあることだって、わかってるわ。けれど、私が生き続ける限り、必ずこの悲しみはまた襲ってくるのよ。
 いいえ、この悲しみよりももっと大きな悲しみが来るかもしれない」


それはその通りだと思う。生きている限り、悲しみからは逃れられない。けれど、生きていなければ喜びも得られないではないか。


「その分きっと、もっと大きな喜びも待ってるよ。今はただ、悲しいことに目が向いているだけで」


「ええ。きっと良いこともあるでしょうね。けれど、問題はそこじゃないの。悲しいことよりも嬉しいことが多いとか、悲しいことの方が多いとか、そういう問題じゃないのよ。
 たとえどんなに大きな喜びが待っていたとしても、今以上の悲しみが来るなんて思ったら、堪えられないの。その後の喜びが来る前に、どうにかなってしまうのよ。
 たとえばあなたが私より先に死んでしまったら、私はどうすればいい?」


「それは……」


そう言われると、僕には最早何も言えなかった。


「私、悲しみって慣れるものだと思ってた。お祖父ちゃんが死んで、お婆ちゃんが死んで、叔父さんが死んで、そうやって身近な人が死んでいって、段々失うことの悲しみに慣れていってるんだ、って。
 でも、違ったみたい。むしろ逆ね。年々悲しみは大きくなっていくばかり。
 歳を取るにつれ、失いたくないものが多くなりすぎていくのよ。
 だからこの悲しみは、これから先、大きくなりこそすれ、小さくなることなんてないんだわ」


「確かに、そうかもしれないね」


自分に照らし合わせて考えてみる。
確かに僕も、歳を取るにつれ大切なものが多くなってきた。年月を重ねることで、それがかけがえのないものになっていくからだ。
だとしたら、悲しみは増すばかりではないか。


「私はね、今、この悲しみの大きさでもうギリギリなの。これ以上の悲しみなんて、堪えられそうにない。
 そんな悲しみを味わうくらいなら、他の喜びを全て捨てた方がましっていうくらいにね」


それは違う。怪我をしても治るように、悲しみも徐々に癒えるはずだ。
そう言おうとした瞬間、僕らの乗っていた車は、中央分離帯に突っ込んでいった。
助手席から伸びた彼女の手が、僕の手に重なり、大きくハンドルを切っていた。


気がついた時、僕は病院のベッドの上にいた。
僕は担当の医師から、彼女は死んだと伝えられた。
彼女はきっと、本当に限界だったのだと思う。いつか今以上の悲しみに襲われることから逃げだしたのだろう。
そして、僕は今になってようやく、彼女の言っていたことを身をもって理解している。
あまりに大きすぎる悲しみは、癒えることはない。
きっと彼女は、襲いかかる悲しみから僕をも解放するために、あんなことをしたのだと思う。
けれど、僕は生きのびた。
そして僕は、あれから三年たった今でも、深い、大きな悲しみに囚われたまま生きている。
彼女のように、逃げ出す勇気もない僕は、今日もこうして悲しみに酔いながら、眠りにつくだけだ。
生きている限り、こんな悲しみからは決して逃れられないのに。それはわかっているはずなのに。