コピペで悪いか。コピペが悪いか

まるで半径5メートル以内だけが自分の住む世界かのように、今回も例によって例のごとく、はてなのホットエントリを読んでての話。


レポートコピペ問題の問題 - Ohnoblog 2
要するに、大学のレポートをネット文献からのコピペで済ませる輩が増えているって話なんだが、このエントリその物よりも、ブコメでの反応等が気になった。


僕自身は、大学のレポート等でいわゆるコピペレポートを提出したことは無いが、参考文献としてウェブサイトを挙げることは多々ある。


専攻にもよるだろうけれど、そもそも大学のレポートにせよ卒論にせよ、適した参考文献を見つければ最早作業は終わったような物であり、よっぽど先鋭的な内容の物でない限り、学部生のそれは先行研究の焼き直し、もしくはまとめに過ぎない*1
僕は文系学部だが、理系学部生のレポート・卒論にしたって、「これまでにない新発見をまとめた論文」なんて滅多にないだろうし、そもそも「これまでにない新発見をまとめた論文」じゃなければ単位が与えられないとしたら、ほとんどの人は卒業出来ないだろう。
言うなれば、新しく目的地を作り、そこへ繋がる道路を新しく作っているのではなく、既存の目的への新しい道を作るか、既存の道の歩き方をまとめているか、そんな物である。


だからといって、コピペが許されるとは言わない。
いわゆるコピペレポートとは、無断引用・転載であるケースがほとんどであり、まずその点で問題である。
だが、無断引用・転載ではなく、出典を明記した上でのコピペはどうだろう?
それは最早コピペではなく、立派な引用となる。
もちろん、引用だけではレポート・論文は成立しない。
だが、先に挙げたように、「良く書けている」と評価され、単位認定されるようなレポート・卒論は、引用・情報の整理がほとんどである。
だとすれば、卒論にせよ何にせよ、問われるのは「自分のテーマに合った資料を探す能力」「見つけた資料をまとめる能力」だ。
そして、コピペレポートはまさに「自分のテーマ((コピペレポートの場合、レポートの課題))に合った資料を探す能力」の一環ではないか。そして、見つけた資料が十二分に纏まっているなら、それ以上まとめ直すのはナンセンスである。


つまり、コピペレポートの問題は、既に模範解答の出ているような、ネットで少し調べればコピペ出来てしまうテーマでしかレポートを書かせられない教授陣にもあるのであり、学生側の体質を問う前に、まずはここを考えるべきだろう。


現実問題として、ネットは存在し、そこにはコピペ出来るような情報が大量に溢れている。
そして、便利な情報収集ツールを使うのも、一つの処世術であり、知恵である。
としたら、ネットから簡単にコピペできないような、自分で考えなければ書けないテーマでレポートを課せば良いだけであり、とどのつまりそれをしない*2教授側にも問題があると言わざるを得ないわけだ。

教える側の問題

たとえば野口悠紀雄は、コピペについて、教える側の怠慢だと言っている*3
そもそも、教授陣がレポートを課し、提出されたそれを一つ一つ真面目に読んでいれば、コピペレポート問題など起きないか、あるいは起きたとしてもすぐ発覚するのである。
大体にしてコピペレポートを提出する学生というのは、*4「あの教授はどうせまともに読まないから、コピペで出してもバレないだろ」といったことを考えて出すわけである*5


「レポートの書き方を教えない、教育に問題がある」という意見もあるようだが、大学を義務教育と勘違いしているとしか思えない意見だ。
そもそも大学レベルの教育*6受ける意思があって、大学に入学しているのなら、レポートを課された時点でその書き方を知らなければ、自分で学べば良いだけである。世の中にはいくらでも「大学レポートの書き方」といったような本があるのだから。
こう言うと、「書き方がわからないからコピペするのだ」と言われそうだが、それは違う。
確かに、書き方がわからないのもコピペをする理由の一因だが、前述したようにコピペをする根本の理由は、簡単に言えば学生が教授をナメているからに過ぎない。


コピペがほぼ確実にバレる。かつバレたら問答無用で不可になる。こんな状況だったら、書き方を知らない人間も、コピペはしない。
現に厳しい教授の課すレポートでは、皆不満を言いつつも調べて書いたりしているハズだ。
対して、落としても構わない、あるいはどうせ気付かないだろうとタカをくくっている教授に対しては、コピペをするわけである。
これは別にコピペに限った話ではなく、先輩・友人のレポートをそのまま写すことも同じである。


ここに来てコピペだけが取りざたされるのは、先輩・友人のレポートを写した場合、教授側がそれを見つけるのが容易であったのに対し、いわゆるコピペレポートはその発覚が困難だからに過ぎない。


ここまで書いて、コピペレポートとは直接関係なく、野口悠紀雄が他に言っていたことが気になって検索してたら、


BLOG「芦田の毎日」: 「コピペ」は本当に悪いことなのか


ほとんど同じようなことを言ってるような人が既にいた。
そりゃ俺なんかの考えることなんて、誰かがとっくに言ってるだろうさ。
ここまで「そろそろコピペレポートについて語っておくか」と言わんばかりに、勢いだけで書いてたのがアホらしくなったので終了。


ちなみに調べてたのは、「ネットが普及して検索が便利になったこの時代、今までなら参考文献を探すだけで大学院生が1ヶ月や半年かかっていたのが、学生が簡単に10秒くらいで探せてしまう。そんな時代に論文を書くことについて」の話。
野口悠紀雄のゼミのある学生は、「これで(資料を集めるのが楽になったので)論文書くのも簡単だ」と言ったのに対し、別のある学生は「(誰もが簡単に資料を集められてしまうので、それらと違うまともな『論文』にするにはより手間がかかるから)大変だ」と言ったらしい。
コピペレポートとも関わると言えば関わる話ではあるか。


要するに、資料を集めるのが困難だった時代は、資料をまとめただけで、「論文」として成立したが、誰でも資料を簡単に集められるようになったこれからの時代、今までのように資料を集めただけでは「論文」として成立せず、今までよりも更に深い考察や個々のアクセントの付け加えが必要になるという話。
コピペレポートも、問題の根幹は似たような所じゃないかな。


本気で、「自ら考える力」だの何だの言うなら、まずは教える側が「自ら考える力」を使わないと解けない問題を出さなきゃ。
自ら考えなくても解ける問題を出して、「自ら考えろ」なんて、そりゃ無茶ですがな。
反感承知で言えば、要するに問題を出す側が「自ら考え」ずに、テキトーな問題出してるから、知恵をつけた学生なり子供が、同じようにテキトーに回答してるわけで。

*1:もちろん全ての卒論を読んだことがあるわけではないから、聞きかじりの印象での話だが

*2:することを面倒くさがる

*3:余談だが、彼の大学院での試験は、ウェブページの印刷から何から全て持ち込み可らしい。その理由は「知識を問うのではなく、考える力を問う問題を出していれば、資料を持ち込みされても困らない」からとのこと。コピペに対しても似たような見解を述べている。

*4:本人がよっぽど馬鹿なのではない限り

*5:最初からバレる確率が高いと考えていたら、バレた時のリスクを考えてコピペはしない

*6:研究ありきの高等教育