イノセンスであり続けたいと願う

イノセンスであり続けたいと願うことは、モラトリアムであり続けたいと願うことに近い。
この世の中、汚れなければまともには生きていけない*1。汚れていないと言う人間は、汚れが何か知らないか、あるいは自分が汚れている事に気付かないだけだ*2
だから、本当の意味でイノセンスな人間など、この世には存在しないのだろう。
そこにあるのは無知から来る潔白と、無自覚から来る潔白しかない。


それでも、僕はイノセンスであり続けたいと願う。
5年後、もし僕がこれを読み返す事があったら、どう思うのだろう。
願わくば同じ気持ちであるように。少しでも今よりイノセンスであるように。


もし、5年後の僕がこれを読み、この気持ちを理解できないような人間になっていたら、僕はその僕自身を何よりも憎む。
そして、多分それこそが、僕が最も恐れている事なんだと思う。


働きたくないでござる

僕は、いわゆる「仕事」が嫌いではない。
労働には喜びを感じるし、毎日12時間働いていても、それほど苦痛ではない*3
それでも、僕は「働きたくない」と思う。
正確には、僕の抱いている感情を端的に表すには、「働きたくない」という言葉が最もシンプルであるだけで、「労働したくない」とは違う。
その意味で、昨今話題になっているニート等とは、立ち位置が違うつもりではある*4
あるいは、ニートについて報道されるのが上辺だけで、ニートと呼ばれる彼らもまた、僕と同じような気持ちなのかも知れないが。


とにかく、僕は働きたくない。
正確に言うならば、自分が罪悪感を感じるような仕事をしてまで、金を稼ぎたくない。

そのために諦めるもの

もちろん、ただ「汚れたくない」なんて望みが通るとは思わない。
そのために僕自身の優先順位を考え、諦められるものが、結婚や、収入や、休日といったものだ。


多くの人は、自分のやっている仕事に疑問を感じたり、罪悪感を感じたりしても、家族や身の回りの人間、自分の生活、収入のために、仕方なく続けるのだろう。
優先順位は人それぞれだし、そういう人が多いのは事実だと思うので、それは仕方ないと思う。
けれど、僕の場合の最優先事項は、まず「最低限生きること」であり、その次が「自分が罪悪感を感じる仕事をしたくない」である。
結果、年収は200万でも構わないし、結婚出来なくても構わないし、毎日12時間労働でも構わないし、過労で倒れたり健康に支障を来すほどでなければ仕事がきつくても構わない、となる。


僕の「やりたいこと」なんてのは、読書だったり一人でのんびりすることだったり、こうやってネットでウダウダ愚痴を書いたり、他のサイトを見たり、散歩したりすることなので、むしろ優先されるのは「やりたくないこと」である。
そりゃもちろん、豪邸に住んで、大画面で映画見て、最新スペックのパソコン組んで〜なんてのも「やりたい」が、「絶対にやりたくないこと」をやってまでやる気はない。
その点で、僕は僕の「絶対にやりたくないこと」を平気で*5やって、「贅沢な暮らし」とやらをしていたり、「やりたいこと」をやっている人間とは、決定的に価値観が合わないと思うし、根本の部分では話も合わないのだと思う。
もちろんそういった人に、僕は理解されないだろう。
それもまた仕方ない。なにせ、恐らくほぼ確実に*6、僕の考えよりもそういった考えの人の方が多いのだから。


これもまた、諦めである。
好きこのんでマイノリティになったつもりはない。マイノリティの特権を振りかざすつもりもない。
ただ、結果マイノリティである以上、僕はある意味で弱者であり、共感してくれる人は少なく、ともすれば精神的に孤独に近い形で生きていかなければならないのだろう*7

僕のいう汚れ

一言で言えば、僕自身の感じる善悪に照らし合わせての、悪である。
ただ、青二才の語る善悪など、潔癖過ぎてあまりに判断が厳しいので、その上で「僕自身が許せないレベルでの悪を行うこと、あるいはその悪に荷担する行為」を指している。


たとえば僕は、世の社会人の殆どは「汚れ」だと思っている*8
僕がプライベートでよく行く電気店の営業も、もちろん「汚れ」だ。


彼らは時に、商品知識の無さからか、あるいは意図的にか、客のニーズとは違ったものを薦めることがある。
メーカーから出向してきている売り子など顕著で、極力自社製品を売ろうとする*9


例え話として、もし僕が電気店イーモバイルの営業をやっていたとする。
新規1円でイーモバイル同士通話無料というのに惹かれて来た客が、頻繁に地下鉄に乗る人だったら、僕はその人にイーモバイルを売りたくはない。
売るにしても、地下での電波の弱さ、あるいは地方での電波の弱さを説明し、理解して貰った上で、買って欲しい。
もちろんそんなことをすれば、売れる物も売れなくなる。せっかく来た客を、逃すことになるだろう。
それでは、仕事としては成立しない。
だから僕は、欠点を知っていてもあえて黙って売るか、あるいは最初から自ら商品知識を得る努力を放棄し、営業に必要な資料に書かれた利点のみを覚えて機械のように売るか、その仕事を辞めるかを選択しなければならない。
そして、僕はそのようなケースなら、その仕事を辞めることを選択する。


つまり、僕にとって「相手にとってより良い選択肢がある(と自分が思っている)にも関わらず、自社の(自分の)利益のために意図的にそれを黙って売る」という行為は、汚れなのだ。
もちろん、黙って売って、それで相手が満足すれば、それで良いではないかと見る向きもあると思う。世の中の殆どの人は、そうやって営業という苦しい仕事をこなしているのだろう。
でも、そこでたとえ他社の物だったとしても、ニーズに合った物を提示して、その上で相手が判断して買えば、より満足出来たかも知れないではないか。
判断するのは、常に購入する客であり、それに対し偏った情報しか与えないのは、悪であり汚れであると、僕は考える。
だがこれは、自由経済において当たり前のことでもあるから、僕はただ諦めるしかない。


極端な話、「買っても出さないだろうな」とわかっていた人に年賀はがきを売ったことですら、僕はいまだに後悔している。
いつも顔を合わせるおばあさんに、年賀状のシーズンに「良かったらどうですか」と薦めた所、その老婆が100枚ほど買ってくれた事がある。
そこで僕は、「一人暮らしのおばあさんだし、20枚くらいあれば足りるんじゃないかな」と思ったのだけれど、「いつも配達に来てくれてるから」という理由で、おばあさんは100枚購入してくれた。
そして、元日から数日後、配達に行くと、やはり年賀はがきは半分以上残っていた。


なぜあそこで僕は、「必要な分だけでいいですよ」と一言言えなかったのか。
僕は決して、年賀はがきを買って欲しくて、毎日笑顔で配達していたわけじゃない。年賀はがきを買って欲しくて、毎日挨拶していたわけじゃない。


他人が聞いたら理解出来ないであろう、こんな事ですら、僕にとっては「僕自身が許せない汚れ」である。
そして、もし仮にこの時売ったのが僕ではなく、僕は管理職で売ることを指示した側だったとしても、「そうやって売られる事がある程度わかっていた上で指示した」時点で、同罪だと考える。
製品も同じである。営業職以外ならば汚れていないのかと言われれば、そうではない。
そうやって売られるのがわかっていて、製品を作っている側もまた、そういった「汚れ」に荷担しているという意味では、同じだ*10

そして僕は汚れたくない

僕は汚れたくない。
法的に悪である事はもちろん、自分自身の倫理観と照らし合わせて悪である事は、やりたくない。
むしろ、自分自身の倫理観と照らし合わせて善であれば、それが法的に悪でもなんら構わない。


僕の善悪を規定しているのは、法でも国家でも他者でもなく、僕自身なのだから*11
僕自身が僕の善悪を規定出来なくなったら、最早一個の個人として僕は成り立たなくなるし、他者の基準に依存して生きるなんて、僕は御免だ。
だけど、僕もまた汚れてしまい、いつか汚れることに慣れ、汚れた事すら忘れてしまうかも知れない。
だから僕は、僕が汚れてしまい、今僕がこうして考えているようなことを平気でやっている僕なんてものを、酷く嫌い、怯える。
今こうして書いているのも、今の気持ちを少しでも忘れないでいられるようにだ。

だから僕は働きたくないと言う

これまで書いたような感情を、一言で表すのが難しいので、僕は「働きたくない」と言う。
でも、本当は働きたい。
汗水垂らして、必死に打ち込んで、やりがいを感じたい。もちろん、汚れずに、だ。
でも、そんなことは難しい。だから僕は、色々なことを諦めた。


汚れずに済む仕事なんて、儲からないだろう。だから僕は、一生年収200万で生きていく覚悟した。
家族や自分以外に守るものがあったら、いざというときに汚れた事もしなければならないだろう。だから僕は、一生一人で生きていくと覚悟した。


それでも、世の中に汚れずに済む仕事は少ない。
年収も、福利厚生も、労働形態も、その他全ての条件を、引き下げても、中々見つからない。
後は、徐々に「汚れ」のレベルを上げていくしかないのだろう。


妥協できるラインを少しずつ下げ、いつか汚れきってしまうのが、とてつもなく怖い*12

*1:この事に関して僕は生涯、資本主義の、自由経済のクソッタレと言いつつ、諦めながら生きていくのだと思う

*2:ここで言う汚れとはあくまで僕の主観なので、気付かなくても当然ではあるのだが

*3:毎日12時間働くなんてのは、アルバイトでしか経験がないけれど

*4:そもそも僕の今の身分はニートではないのだが。もちろんニートにも様々な理由で「働きたくない」人がいるのだろうから、僕と同じ立ち位置の人もいるだろう

*5:もちろん本人に葛藤はあるにせよ

*6:程度問題はあるにせよ

*7:余談だが、僕がここや実生活でこういった話を頻繁にするのは、決して持論を展開したいからでなく、孤独から脱出したいという期待の表れである。共感されないとわかっていても、一縷の望みをかけて話すのだ

*8:ただし、その人間が汚れているか否かとその人間を嫌いかどうかは、別である。そもそも僕から見たら僕を含め殆どの人間は汚れているのだから

*9:もちろん、それがこの社会では当たり前なのだが

*10:年賀はがきの場合は、ニーズがきちんと存在するのは確かなわけで、製造者よりも売ることを指示する側・実際に売る側の問題だとは思うが

*11:当たり前だが、最終的な判断は僕というだけで、周囲の環境が僕の判断に影響を及ぼしているのは事実である

*12:生まれてから今までを考えただけでも相当に汚れているが、現に今その汚れに対し僕は無関心になりつつある