なぜか学校では教えない多数決の話

共産主義、あるいはアナーキスト、あるいは選民思想の持ち主である、どうも僕です。
皆さん、今日は衆院選でしたね。まさかこれを読んでる人の中に、「郵政解散の時は自民に入れたけど、今回民主に入れました」なんて人はいないよね?
そういう人は腹を切って死ぬべきだ。また彼らはただ死んで終わるものではない。
ブログ主id:ma_zuが地獄の火に投げ込む者達だ。彼らの仲間も同様だ。
理由は民主主義下において愚民という存在は死ぬべきだからだ。詳しい理由は第四十四回衆議院選挙と、第四十五回衆議院選挙での自民・民主の選挙広報等で熟読すべし。


とまぁネタは置いておいて、本題。

昔から凄い納得いかないけど、なぜか学校等では「当たり前」とされている多数決の話。

たとえば、みんなで夏に遊びに行くことになったとき、リア充の僕らは海に行くか山に行くかで揉めるわけですよ。
で、男女混合夏物語な15人だと、多数決を取ったりするわけです。


「海行きたい人〜。山行きたい人〜」ってな具合に。
結果、海8人、山7人で、海に決定! じゃぁ海どこ行く〜? となるわけです。
で、改めて15人で候補出し合って、「お台場がいい人〜。大洗がいい人〜。湘南がいい人〜。佐渡がいい人〜。沖縄がいい人〜」と。
もうね、これがアホかと。


最初に海に行きたいと手を挙げた8人の中には、スクーバしたい人もいれば、サーフィンしたい人もいれば、素潜りで密漁してそれ食べたい人もいる可能性があるわけですよ。
で、結果、「じゃあ、茨城の大洗の海にしようか」なんてなったら、スクーバも素潜り密漁も出来ねぇよ! と。
海に行きたいと手を挙げた8人の内、6人が「スクーバしたい人」か「素潜り密漁したい人」で、「え〜、スクーバか素潜り密漁出来ないくらいなら、山の方が良かったなぁ」と思ってる可能性があるわけです。


これは山の場合も同じで、「海か山かで言えば山に行きたいけど、富士山は方角が悪いから、富士山には絶対行きたくない人」とか「海か山で言えば山に行きたいけど、渓流釣りがしたいだけだから、渓流釣り出来ないなら海の方がいい人」なんてのもいるわけです。
そんな中、いきなり海or山の二択を迫られて、多数決で山に決まって自分も山に行く方に手を挙げたんだから文句を言うな、とか言われるわけですよ。


全体最適からほど遠い結果。


15人中、8人が海がいいと言ったので、多数決で海決定。
どこに行くか希望を出して貰った結果、お台場、大洗、湘南、佐渡、沖縄の5択に。
さらなる多数決の結果、お台場1票、大洗5票、湘南4票、佐渡2票、沖縄3票 という結果になったとする。


この時点で、改めて多数決を取り直すべきなんですよ。
海に行くのを希望した人は、大洗に行きたかったとは限らないんだから。
海に行くのは確定にしても、たとえば、大洗だけはイヤだって人が、第一志望の沖縄から湘南に変更して、大洗5票、湘南7票という結果に変わるかも知れないし、そもそも最初に海を希望した8人全員が「大洗行くくらいなら山が良い」という意見かも知れないわけで。


僕の周りだけかも知れなけれど、たとえば文化祭の出し物だとか、ホームルームで「多数決で何かを決めよう」という時に、常にこういう多数決が行われていて、常々「いやいや駄目だろそれ」と思っていたのを思い出したので書いてみた。