酔っぱらって書くブログは楽しいなぁという話。あるいはインターネットによるマイノリティの可視化について

酔ってます。どうも僕です。
酔ってるって宣言すれば何書いても許されるわけじゃないけど、酔っぱらって文章書くのは凄い楽しい*1ので書いてる僕です。
はてなダイアリープラスで金払ってる以上ここは僕のパーソナルスペースだぜ! 何書こうが文句あるか! くらいの勢いで書いてます。
だけど時々、ウェブリソースをムダに食い散らかしていることを自覚して死にたくなります。
でも、情報保持の観点から言えば、価値というのは当時の特定の人間が決めることではなく、将来、たとえば100年後、1000年後でもこの日記を誰かが読むことがあれば、それでOKなのです。
だからそれを言い訳に今日も更新。そもそもテキストデータだけならGoogleのサーバだけで相当量補完できるんだから、みんなもっと好き勝手書けばいいと思うよ。その方が相対的に面白い記事も増えるし。面白い記事を能動的に探せない情弱はこの際黙殺すればいいじゃないか。
本気で面白い記事読みたければ、誰でも探せる土壌はあるわけだし。

本題


世界中の1%の人々へ

のDakinyこと蒲生さんが、九月二日、五十歳になったようです。おめでとうございます。
五十歳での所信表明というか、今後の方向性の発表がブログでもされているけど、webの人として蒲生さんを見ていた人間としては、今回の「マーケティグ&ブランディグで生きていく」発言は、少し悲しい物がある。
というのも、web、特にMT関係で生き生きとしていた蒲生さんという印象が強くて、「それって、周囲に求められたからであって、本当にそれが『やりたいこと』なのかな?」という疑問が出てしまうからだ*2


というわけで、今回は蒲生さんのブログに載っている僕の好きな言葉

夢をかなえるための時間は少ない。残る人生は共感できる人々と共に生きよう。だから世界の中の1%へ。

について、僕なりに語ってみようと思う。

世界中の1%、いや、世界中の0.01%だったとしても

インターネットの普及によって何が変わったかと言えば、従来のマスに向けた宣伝・企画手法がメインだったのに比べ、ニッチに向けた宣伝・企画が成立し易くなった点だろう。
インターネットは容易にマスに向けて情報を発信することが出来、その結果、一見矛盾するようだが、従来コストパフォーマンスの悪かったニッチな層への求心が容易になった。
多分、これは異論の無いところだと思う。
従来、1000人に1人しか欲しがらないような商品が、ネット上ではその1000人に1人を余すことなく取り込めるようになったのだ*3


で、今回そういうマーケティングの話をしたいのかというと、全然そうじゃないので、思いっきり間をすっ飛ばす。
世界中の1%じゃなくていい。世界中の0.01%の人が理解してくれれば、この日記にせよ、何にせよ、成り立つんじゃないか、という話までぶっ飛ばす。


多分、僕の日記は客観的に見て、面白くない
謙遜して言うわけでなく、何度も書いていることだが、僕自身が見て「僕自身の書いた物」という補正を取っ払えば、くだらない、まさに「愚者の愚痴」でしかない日記だ。
だが、そんな日記でも、世界中の1%とまでは言わない、世界中の0.01%、あるいはもっと低い数値だったとしても、理解してくれる人がいれば、この日記に、「僕自身の不定期排出所」以外の意味が生まれる。
それは何も今この瞬間に存在する必要はない。最初の話に戻るが、100年後、1000年後、もしこの日記の文字情報が残っていたとして、誰かが読んだとき、その「誰か」に何らかの意味のある物として受け止められれば、その時点で、この日記に意味が生まれるのである。


ここで、「理解」と書いたのには、意図がある。それは決して「共感」ではないのだ。
僕の日記を読んで「だよねー」「あーわかるわかる」と思ってくれなくとも、全然良いのだ。
「こいつの言ってること、違うんじゃないか?」「こいつはこう言ってるけど、俺はこう思うなぁ」という形で良いのである。僕の書いていることを理解してくれた上での感想なら。
僕の書いていることが、そのまま受け入れられなくとも。理解され、礎となって生まれた物が、僕の考えと全く違う物であったとしても。僕の書いた物が(180度逆の形での影響だったにせよ)影響している時点で、そこには意味があるのだ。


ここまで書いて、最初に書いた「マイノリティの可視化」に話が持って行けない気がするので、さらにぶっ飛ばす。


ネット上では、マイノリティが可視化された。これまで、存在することはわかっていても、どの程度いるのかわからなかった存在から、一気に自己アピールをする存在へと変容した*4
僕らは「繋がる可能性」を手に入れたのである。
自分が、世界の0.01%に属する部類の人間であっても、容易に同じ部類の人間を見つけることが可能になったのだ。
蒲生さんの「世界中の1%」という数字は、あくまで例なのだろうけれど、実際のところその「世界中の1%」の人全てと繋がることが出来たら、それは最早驚異的な数の人となるわけである。


これまで僕らは、その1%の人を効率的に探す術を持たなかった。
マスに合わせ、自分の本心とは違う話をして、自分の本心とは違う表情をし、周囲に合わせることで、出会った人間の50%、あるいは99%に合わせて生きる必要があった。
だが、今後はどうだろう。
世界中の1%に過ぎなくとも、その1%全てと繋がることが出来たら、最早残りの99%に対するマーケティングは必要無いのではないだろうか。
無理して、自分のやりたいこと・本心と違うことをやって、世界の99%の人間に受け入れられるよう努力しなくとも、自分のやりたいことをやって、自分の本心をさらけ出して、世界の1%の人たちに受け入れられれば、生きていけるようになっていくのだと思う。
これは、音楽や映像、文章問わず、あらゆるジャンルでそうなって行くのではないだろうか。


結局マーケティングの話をすると、マスに向けた商品じゃないから、既存の流通には乗らなくとも、iTunes storeで販売していれば、自分と同じ感性の世界の1%の人たち全てが購入してくれる可能性がある。
100人に1人、あるいは1000人に1人にしか理解されなくとも、web上では、その1000人に1人だけを集めて数百、数千人規模になることだって容易に出来る。


僕らは今、そういった世界にシフトしつつある。
NTTコミュニケーションズのCMじゃないけれど、僕らは「世界と繋がっている」のだ。
何を信頼すればいいのかわからないし、何に頼ればいいのかわからないけれど、確実に、今、僕らはその世界を手に入れつつある*5


でも、それと同時に、依然僕らは旧来のwebではない世界でも生きている。
それは多分、どちらが良いとか正しいとか言うことではなく、好みの問題で、最も良いのはそのどちらの利点も享受して生きていくことなんだろう。
今後、確実に世界はwebの方へシフトしていくだろう*6
ある意味で、僕らの世代というのは、その変化に立ち会えた、貴重な世代なのかも知れない。

*1:大抵翌朝見直すと死にたいくらい恥ずかしくなるんだけど

*2:もちろん本人が『これが天職』と判断して決めたことなら、全く文句はないが

*3:模型星形エンジンが欲しいなんて人は、遠くの店に行くか、雑誌で情報を仕入れるしか無かったところ、ネット上ではそれが容易に調べられるようになったように

*4:実際にはマイノリティ自体が変容したわけでなく、あくまでメディアが変わったわけである

*5:依然言語の壁はあって、この日記が日本語で書かれている以上、「日本語が理解出来る人の中の○%」という形にはなるけれど

*6:決してwebが中心になるという話ではなく、単にバランスの問題として。これまでwebの配分がゼロだったわけだから、上がるのは当然である