ジブリという強制力
そして今日も酔ってます。
自称リア充の僕は日曜朝5時半くらいに起きて、BBQ*1に行ってきました。
自称リア充の僕はお酒を飲んで、半分以上残ってる日本酒*2を、「これ冷やした方が美味しいな」という理由で川に入れておいたらなくなってて、物凄いガッカリした後、みんなに絡みまくって帰ってきました。ここで言う「絡む」は「からむ」で、要するに悪い絡み方です。
次回は多分呼ばれません。リア充万歳!
それにしても盗んだ奴許すまじ!! 地元のお酒ってことで、高尾山の純米酒*3の一升瓶を買ったのに!!*4
まぁ今日のエントリのタイトル見ればわかるように、BBQの話だとか、僕が今酔っぱらって帰ってきてこれを書いているだとかの件は、本文と全く関係ありません。件とかいて「くだり」と読んでください。
本題
今更ですが、僕は、ジブリ、というか宮崎駿が監督した映画が好きです。大好きです。
この日記でも散々書いてるけど、何より空を飛ぶシーンが素敵。映画『スカイ・クロラ』なんて比べものにならないくらいに。
こうやって、やらなくていい比較をしてdisっちゃうから、BBQでも「お前一言多いよ」とか言われるんだと思います。
まぁそれは後で僕が一人で枕を濡らせばいいので置いておいて、と言いつつ置いておかないけど、僕は思ったことをそのまま口に出すタイプなんで、これを読んでる僕の知り合いは、そのつもりで僕と付き合ってください。決して悪気があるわけじゃなくて嫌いな人の前だったら思ってることと正反対のことを口に出して適当に場を繕います、スイマセン。社会に出たら率直な意見なんて滅多に聞けないのに、率直な意見が聞ける珍しいサンプルです! でも常識はあるつもりだから、初対面の人とか嫌いな人の前では常識人ぶるよ! 異性にフラれる理由は大抵そこです!! 曰く「初めは凄い優しいし真面目な人だと思ったのに……」だそうです!!
という話は更に置いておいて、宮崎アニメ好きです。
何の話してるんだ俺は。
よく「ジブリのアニメ好きなんだー」とか「宮崎アニメ好きだよ−」と言う人例えば脳みそ空っぽな感じのパープリン女とかねがいますが、そういう「社会的に受け入れられるから宮崎アニメ好きって言っておこう」とかのレベルじゃなく、好きです。
っていうか、宮崎駿って明らかに女性に対して物凄い偏った考え持ってるし、変態だし、左翼だし、社会に認められる要素ゼロだと思うんですけど、どうなんでしょう。
っていうのは更に更に置いておいて、「ジブリ好きって言っておけば安牌」っていう風潮が、どうなんだと*5。
宮崎アニメは、なんというか社会性あるテーマなのかなんなのか知らないけど*6、やたら「これ否定したら、俺人としてダメって烙印押されるよな」って風潮がある気がします。僕だけですかね。
例えば「攻殻好きです」とか言うのと、「魔女宅好きです」と言うのじゃ、社会的に許される度合いが全然違うと思うわけですよ、はい。
で、「ジブリ好き」とか「宮崎アニメ好き」って言われた側は、それに同調せざるを得ないわけです。よっぽど尖ってる人じゃない限り。
「トトロ好きなんだよねー」と他の人に言われた時に、「えー、トトロって時代考証甘いし、設定がとにかく『昭和初期の日本を絶賛』って感じで、受け付けないわぁ*7。別にみんなが言うほど名作じゃないでしょ」とか言おう物なら、「えー、酷い」「感受性ないんだね」「心が荒んでるんだよ」「どうせ素直じゃないから」とか言われる位の勢いなわけです。
この圧力が、どうなのよ、と。
僕は、ジブリ、というか宮崎アニメを、「ナウシカを起点とするならもののけで終わっている」「もののけで綺麗に完結している」と思っていて、千と千尋だのハウルだのポニョだのは、「もののけ以前」とはまた別の宮崎アニメだと思ってるんですが、そういう論法で否定しよう物なら烈火のごとく怒られたりするわけです。
つーか三鷹の森美術館*8で、ミトが写ってるフィルム貰ったのに「これ誰?」とか言う奴はジブリファンとか名乗るなよマジで。今すぐ俺が貰ったソフィーの入場券と交換してくれ。ミトが「姫さまー」って言ってガンシップでナウシカを迎えに来てから、ユパが「降伏しろ、最早コルベットは戻らん」のシーンは、ナウシカでの最高のアクションシーンじゃないかクソが。
とまぁ、そういう話は更に更に更に置いておいて、「ジブリ好きなんですー」って言ってけば「いい人」を演じられて、そしてそれを否定したら「酷い人」になるみたいな風潮が、どうにもこうにも納得出来ないわけです。
はい、話はそんだけ。そんだけだけど、まだまだ続けるよ。
免罪符としてのジブリから、強制力としてのジブリへ
アニメオタクにとって、「スタジオジブリ」というのは、市民権を獲ている一種の免罪符だったわけです。
「アニメ好き」って言うと「えーキモーイ、アニメ見るのが許されるのは小学生までだよねー(AA省略)」と言われるところを、「ジブリ好きなんだよねー」と言っておけば、許されるという。
で、市民権を獲すぎたせいで、最早「ジブリ映画」「宮崎アニメ」というだけで、「否定してはいけない物」になってませんか、と。
現に僕は、押井が監督したスカイ・クロラであれば、即座に貶すポイントを10個以上言えるのに対して、ポニョに対しては言いづらい所があるわけです。
なんつーか、赤い蝋燭と人魚とか、人魚姫とか、童話としての人魚物を再構築して作られてるとか、海の表現がどうとかはわかるけど、純粋に面白くねーよ。まぁ子ども向けに作ったって本人が言ってるから、俺は対象年齢から外れてるんだろうけど、それ踏まえた上で、面白くねーわ。宗助とポニョの話に関して、心情描写っつーか、「なぜそういう気持ちになったか」って所が完全に欠けてて、宗助の母親の行動にせよなんにせよ、「お約束ですから」的な感じで、全く深みというか、面白みを感じませんでした。はい崖の上のポニョは見る必要ありません駄作です。
とか言おうものなら、猛烈な勢いで「死ねボケ、テメーの見る目が腐ってるんだ」「これだから感性が鈍い人は」「そういう人生って面白いですか」「寂しい人ですね」「同情を禁じ得ない」といった意見が返ってくるわけです*9。
なんかこれって、市民権を獲すぎて、最早「ジブリというだけで、絶賛するべき」という強制力になってませんか?
「ジブリ好き?」って聞かれたら、「あんまり見てない(すなわち、、まだ見てない故に好きでないだけ)」か「好き」の二択しか許されなくて、「嫌い」「好きじゃない」「面白く無い」といったネガティブな意見は言い辛い風潮が作られていると感じるわけです。
まぁ何のかんの言っても、僕は宮崎アニメが好きなんで、全体的に宮崎駿が関わったアニメは*10好きなんですが、それでも、「そりゃトータルで見れば好きだけど、ここが気にくわない」って部分はいくらでもあるわけです。
で、そういうのがあるって、普通のことじゃないですか。
100%どこからどこまでも好き、完璧! なんて物にお目にかかったことは、僕は未だありません。
自分専用に作られていない以上、自分に合わない所があって当たり前だし、仮に自分専用に作られていたら、そこが逆に不満点になるわけで。
なのに全肯定しか許されない。
そんな風潮どうなのよ。
っていうか俺、宮崎アニメ*11好きだけど、なんかそういう風潮は嫌だわぁ。
と、そんな気持ちを常々感じていて、最近たまたまジブリの話をしたので、書きました。
そんだけ。
じゃぁ、また気が向いた時に日記書くので、その日までさようなら。