松の内も明けたのでそろそろ日記でも書いておくか

2010年の抱負

会社では「昔はともかく、今は8日で正月明けですよw 8日過ぎたら寒中見舞いですよw」と言っておきながら、自分は15日過ぎてようやくこんなくだらない日記を書いている。


2010年。平成22年。


ただの数字でしかないわけで、本来それ自体には何の意味もなく、意味を見出すのはいつだってそれを受け取る僕らなわけだが、こんな人に嫌がられそうな話を抜きにして、2010年というのは感慨深い。
2000年、あるいは2001年を区切りの年と感じた人は、きっと多かっただろう。
2010年というのも、十分に「凄いなぁ」思うわけだが、それを周囲の人に話したところ、3勝9敗で、同意が得られたのは3人だけだった。
こんな物凄く些細なことだけれど、この違いというのは僕の中では非常に大きくて、「2010年」と聞いて「凄さ」みたいな物を想像出来ない、あるいは想像しない人というのは、僕から見た精神的距離は、地球の裏側に住む人より遠いと言ってしまっても良い位かも知れない。

SFの話

たとえばSFに少しでも興味・関心のある人なら、2010年と聞けばすぐに特定の作品を思い浮かべるだろう。
冗長になるのを承知で書けば、2000年以降を舞台にした作品は、20XX年となっていることが多い。世紀末を舞台にした作品の場合、199Xだったりで、1990年代であるという所まで特定されているのが、2000年を越えると201X年といった形ではなく、20XX年といった形の書かれ方が非常に多くなるのだ。もちろんこれは単純に、語呂の問題だったりするのだろうが。
閑話休題。2010年というのは、宇宙の旅の時代なわけである。
まさに僕の生まれた年に発表された小説なのだが(映画化はそれより後である)、2010年を迎えた今日、人類は木星どころか、未だ火星への有人探査すら成し得ていない。
宇宙開発だのに否定的な意見、たとえば「大昔、火星に水があったかも知れない。で、それが何? そんなことどうでもいい。宇宙開発に金使う位なら、先に地球の生活に金を使ってくれ」というような意見はもっともだし、そういう考えがあることも理解出来る。
だが、僕自身の考えは違う。
火星に水がかつてあったかも知れない。なかったかも知れない。だから何だというのだ。火星に水があったかどうかなんて、そんなことは全く重要じゃない。問題は、そこに惑星があるという、ただそれだけのことだ。ただそれだけで、僕らは、いや、少なくとも僕は、多くの大罪に目を瞑ってでも、宇宙に進出することに諸手を挙げて賛同する。
火星に、木星に、土星に、宇宙に何があるのか、どうなっているのか。そういったことの方が、僕にとっては戦争よりも遙かに興味があることで、経済よりも遙かに意味のあることだ。
天体観測が趣味なわけでもないし、天文部に入っていたわけでも、天文学をやりたいと思ったことがあるわけでもないけれど、そこに確実に存在する膨大な未知は、ただそれが存在するというだけで圧倒的に魅力的で、神秘的で、ただそれだけで酔うに足りる物だ。
別に宇宙その物や星が好きなのではなく、あの漆黒の空に、何も成果が得られないかも知れないと自覚しつつも、巨大な鉄の固まりを打ち上げ続ける行為、それ自体にある種の羨望と哀愁を感じているのかも知れない。


長くなったけれども、要するに、SFや映画に興味があれば、2010年というだけでももちろんだが、さらに、当時SFとして語られた近未来と現在との乖離した姿を見て、感慨を得るのではないだろうか。


あ、あと多分見てない相手への私信ですが、借りて読んだ水惑星年代記、物凄く面白かったです。鶴田謙二を好きな人が勧めてくれたので、ずっと気になっていたけど、ようやく読めた。
惑星だのの話をしてて、急に思い出したのでお礼を書いておく。

区切りとしての話

歴史に興味がなかったり、文化に興味がなかったりで、過去を振り返ったりしない人にとっては、全く無関心なことなのかも知れないけれど、2010年というのは「ゼロ年代の終わり」「10年代の始まり」なわけである。
必然的に、5年後、10年後と、「80年代文化と90年代文化の対比」「80年代の出来事」と同じような感覚で、「ゼロ年代と10年代の対比」という風に語られるわけである。
一つの時代が終わり、新しい時代に入ったわけだ。
この見方は、当然西暦基準だから西洋的で、どちらかといえば日本では元号を元に、大正文化、明治文化のように語ってきたと思うのだけれど、いつから主流が入れ替わったのだろう。まぁ、近現代を語る場合、その位の短いスパンでなければ難しいし(それでも場合によっては長すぎるが)、何よりわかりやすいとか色々あるのだろうけど。


で、何も元号が変わった時と同等の区切りとまでは言わないが、2010年というのは、確実に「10年に一度しか訪れない区切り」の一つではあるわけだ。
ここに何も感じない人というのは、最早同じ国で同じ言葉を使って育った人間とは思えないほどの隔たりを、僕は感じるわけである。


余談だが、上記の理由とは別に、2025年に何も感じない人とも、感性は合わないと思う。
1936年以来じゃないか、といえばわかってくれる人はすぐわかる。わからない人とでは、どんなにスイングバイを繰り返しても、互いの心が加速することは無いのだろうな、とさえ思うのだ。

断絶

で、2010年は、まず「断絶」を目標に生きていこうかな、と思う。
僕が時々読んでいるブログのタイトルを借りるなら「世界中の1%の人々へ」だ(元のブログの方は断絶的な意味ではない)。


今まで僕は、来る者は拒まず、去る者は悲しむ素振りを見せつつもあんまり追わないようにする、みたいなスタンスで生きてきたと思う。
決して友人の数が多い方では無いと思うが、誘われれば顔を出すし、極希にはこちらから誘うこともある、みたいな形の人間関係ばかりだった。
思想・信条は違っても、その違いが面白く、そういう相手と話をすれば化学変化のように自分が変わることもあると、ずっと信じていた。
だが最近、そこに疑問を抱くようになった。
今までなら、感性が合わなかったり、自分と違う考えの人間と会話することは、むしろ楽しみですらあった。
それを刺激だと思っていたし、また「一人一人違うのだから合わないのが当たり前」で、最初から「合う」などという幻想は捨て、上辺で合わせるのでなく、合わない部分についてはとことん話すのが、僕のスタイルだった。
だが今では、感性がまるで違う相手に僕の言葉が届かないことがあるように(僕は話がくどく、且つ長いので、そういうことは往々にしてある)、ひょっとしたら僕が「理解した」と思った相手の言葉は、僕自身に届いていなかったのでは無いかと思うようになっている。
僕自身は理解したつもりでも、実は相手の言語感覚と僕の言語感覚には大きな開きがあって、相互確認作業を行ったとしても、それでも実は全く理解出来ていないということがあるのではないか、と。
多様性を認めることが大事だと思っているのは今でも変わらないが、詰まるところ「多様性を認める」ということは「多様性を認めない」という考えをも「多様性の一つ」として内包し認めなければならないのだ。「多様性を認めない」というスタイルの人間を否定するのは、「多様性を認めない」という一つの多様性を切り捨てることであり、すなわち「多様性を認める」ことにならないわけである。
となると、真に「多様性を認める」なんてのは、不可能だ。
で、今までは「たとえ不可能でも、極力近づこう」という形だったのを、「もう無理ならやめちゃおうぜ」にしてしまおうかな、と。


と、長々語っているが、要するに、今までは「たとえ不可能でも、極力近づこう」とすることが楽しかったわけで、で最近それが苦痛を伴うことが多くなってきたから、「やめちゃおうぜ」というだけの話である。
苦痛を伴っても、手放すことを恐れてしがみついていた物から、手を離してみようぜ、と。
恐らく手が離せるタイミングとして今年はラストチャンスだし、手を離して簡単に失われてしまうようなものなら、いつだって代替が効くような物のわけで。


切り捨てちゃおうぜ、世界を。
まぁ、切り捨てるということは、同時に僕が切り捨てられるということでもあるのだけれど。


というわけで、今年は昨年までよりもより引かない媚びない恐れないをモットーに一年過ごそうと思います。