「けいおん!!」は見たことないし好きでもないけど
http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20100411/1270989266
ここを読んで、興味ある内容だったので言及。
僕は常々、「キャラ化が極まると、そこに物語は必要無くなる」と思っているんだけど、今回は、「これって別に萌えだの日常系アニメだの関係ないよねー」という話。
アニメファン向けに言えば、古くはうる星がそうであったように*1、ある程度までキャラ化*2が進むと、物語の面白さ自体よりもその中で動くキャラクターの存在の方が重要になってきたりする*3。
で、うる星なんかは「萌え」のはしりだって言われるような作品だから〜と言われそうだけど、これって萌えだのアニメだの関係なく、昔からありましたよ、と。
例えば昭和の探偵小説や、私小説なんかは、まさに「キャラ化」だ。
最も、今ほどキャラ化が極まってはいないから、そこには一応の「物語」は存在するのだけれど、物によっては最早形式上物語として残っているだけだったり、それこそただの日常を描いているだけだったりする作品もちらほら。
要するに、探偵小説にしても私小説にしても、シリーズ化したり作者の人気だったりで、徐々に登場人物がキャラ化していくと、自然と相対的な物語の必要性は薄れていく。
一部の私小説なんてその傾向が強すぎて、後年叩かれることになるわけで。
まぁ広い意味でのキャラクター商法であり、こういうのは萌えアニメがどうこうとか関係なく、昔からあったわけである。
で、それを自覚的にやっただけでなく、物語的にも壮大っぽい何かに見せかけて、見事に視聴者を騙したって意味でエヴァは評価されるべきなんだけど、そこを指摘する言説が少ないのが不満*4。
まぁそれは別の話なんで話を戻し、かつまとめちゃうと、「けいおん!!」とかの日常系アニメとやらが、昨今急増している「アニメオタク」の方々に割と広く受け入れられるのは、要するに物語性の欠如が要因で、それって別に今に始まったことじゃないよーと。
大衆文化になるにつれて、わかりやすく簡単な物が求められるようになるのは、当然の結果。
で、キャラ化ってのは非常にわかりやすいから、推し進められていくのも当然。
ま、俺は好きじゃないけど。
「今のオタクは〜」とか「昔のオタクは〜」とか語る時は、この物語性の欠如って点からも語れるんじゃないかな。
ただ、それでもやっぱり、昔もあった物が増えただけではあるんだけど。