勝間和代とひろゆきの対談を見て

なんか方々で言われてるから、手短に。
議論というか、対話の態度の面で圧倒的に悪いのは勝間和代
ただ、擁護するなら、勝間和代にとっての「自明の理」が、ひろゆきにとってはそうじゃなかったから、だんだんイラだって、「こんな当たり前のこと否定してくるって、喧嘩売ってるのか」みたいな態度になっちゃったんじゃないかと思う。


で、問題はその「自明の理」だが、これって別に自明じゃねーんじゃねーかなぁ、と。
ひろゆきは良くも悪くも哲学的な人だけど、勝間和代はあくまで経済の人なんだよねぇ、という。


例えば、若者が感じている閉塞感や、幸福度の低下は、本当に経済だけが問題なのか?
勝間和代は、経済、つまり金が幸福を左右するかのように言っているが、その左右される割合は人それぞれなんじゃないかなぁ。
むしろ、経済成長を目指して労働「しなければならない」という社会自体に、若者は閉塞感を感じている可能性もあるわけである。
起業しようと、就職しようと、「仕事」を第一優先させた人生を送らざるを得ないという、その仕組み自体に閉塞感を感じているとしたら?
ひろゆきの言うように、「水と安全させ確保されてればある程度幸せ」だと思っている人たちにとって、必要以上の労働を強制される現実というのは、不幸でしかないし、閉塞感も感じるだろう。


一日に必要な分しか魚を釣らない漁師に対して、アドバイスするアメリカ旅行者の小話があるけど、まさにあんな感じ。
万人が、金さえ稼げば幸せになるわけじゃないし、その人が幸せになるために必要な稼ぎってのは人それぞれ違うわけで。


働き過ぎと言われる日本で、「仕事よりももっとプライベートを充実させたいよ」と思う若者が増えても、別に不思議じゃない。
そういう人にとっては、起業し辛いとか、収入が少ないとかよりも、「プライベートを犠牲にして仕事に身を捧げるスタイルしか選択できない」ということが、何より不幸だと思うんだけどなぁ。