2017年7月、おそらく「大人」と呼ばれる年齢の僕から、もっと「大人」の僕へ

こんにちは、こんばんは、おはようございます。
今日は七夕、棚機津女。風習は時代とともに風化し、人々の後ろめたさから神格化されたそれは、いつしか進んで本来の意味を失い、今では聞こえの良い物語とともに風習として人々に根付いています。


そう、あなたも同じでしょう?


かつて自らが崇高と信じて疑わなかった信仰はいつしか地に落ち、後ろめたさからそれを「成長」と名付けひとりごち、自らを「大人」と定義することに何の疑いもなくなり、恥ずかしげもなく生きているあなた。
もはやそこに悔恨も焦燥もなく、それを「当たり前のこと」として受け入れられるようになったあなた。


あなたには、「こんなはずじゃなかった」と叫ぶ、あの少年が見えますか?
あるいは、「やっぱりね」と諦念を隠しもしない、あの青年が見えますか?


彼らはきっと確かにそこに居たし、きっと今もいるはずなのです。
でも僕には最早、微かにそんな人もいたかな、と思い出せる程度です。
彼らが抱いていたはずの想いは、最早僕には想像することしかできません。
彼らが確かにここにいたという事実を、最早僕には実感することができません。
それはまるで幽霊のように。いたかもしれないし、いた気がするだけかもしれない。
僕が疲れているだけかもしれない、あるいは妄想に憑かれているだけなのかもしれない。


それでも、時々思い出すのです。
一年に一度しか会えない織姫と彦星のように。
確かにあの頃、そこには、今はない「何か」があって、それは確実に、そう、夜にしか見えないけれど、それでも確かにそこにある星のように、存在したのです。


あなたが見ているその星は、何光年先の光ですか?
その星の最後の瞬きが終わったとき、その光が僕らに届くのは、何年先でしょうか。


もう、取り返せないんです。僕らが消えていくように見えたその光の元は、僕らが見つけるよりも遥か昔に、消え去っていたのですから。


あるいは僕よりも「大人」のあなたなら、彼らの声が、聞こえるのですか?


How does it feel?
How does it feel?