否定の出来ない事は真実?

なわけがない。
肯定できないけれど否定はできる事象
肯定できるけれど否定もできる事象
肯定できるけれども否定はできない事象
そして、肯定できないけれども否定もできない事象
とまぁ、大雑把に見て四種類の事象があるわけである。

肯定可肯定不可
否定可 (1, 1) (1, 0)
否定不可 (1, 0) (0, 0)
可を1、不可を0と置いた場合の表。
さて、肯定ないし否定していた要因に誤りがない限り、肯定ないし否定可だった事象が、不可になる事はない。
(例:『白糖は甘い』は肯定可であり、甘いという言葉の定義や白糖の質自体が変化しない限り、肯定可なままである)
となると、0から1に変化する事はあっても、1から0に変化する事は無い(可とした要因が正しければ)。
1→0の変化は有り得ないが、0→1の変化は有り得るとして表を見てみよう。
すると、1,1以外の全ての状況は、変化し得る状況であるという事になる。
否定不可の事は全て否定するに足る要因が見つかっていないというだけの事であり、また肯定不可の事は全て肯定するに足る要因が見つかっていないというだけの事なのだ。
結果、肯定も否定も出来る事が確定された真実だという、なんともわけのわからない結果になる。最早量子論の世界か。

神の不在を証明する事が出来ないからといって、存在が証明された事になるわけではないのである。
それはあくまで、0,0の状況でしかないのだ。

結局の所、はてなダイアリーでタグが使えるようなので、使ってみたかっただけという事なのである。