口調

公私で語調を変えるのは当然の事だが、自分の場合それ以外でも無意識の内にかなり使い分けている。
相手によって分けるのは当然だが、媒体によってもかなり変わるのだ。
会話の時、電話等非対面会話の時、携帯電話メールの時、PCメールの時、掲示板の時、チャットの時、この場のように日記や散文を書く時などなど。
この中で最も寡黙なのは携帯電話メールの時だろう。
携帯電話という機械自体がそれほど好きでは無いので、自然とそれを使用すると寡黙になる。
顔文字も何もなく用件だけのメールになる事が多い。
次に寡黙なのは電話の時か。
やはりこれも用件だけを伝えて終える事が多い。あまり喋らず互いの息遣いを〜なんて事は全くない。
おそらくこの二つが群を抜いている。
もっともこの二つがこなせないのは現代人として致命的ともいえる、重大なコミュニケーションツールなのだが。
その他においては概ね雄弁である。ただし私の場合に限ってのみであり、公の場では寡黙になるのが特徴だが。
閑話休題
会話の時の口調をスタンダードとすると、携帯電話メールやこの場のような日記や散文が固い方に分類され、最も砕けているのは恐らくチャットである。
その口調が何故携帯電話メールでは使えないのか自分で疑問に思うほど、チャットでは砕けた物言いになる事が多い。もちろん周囲の人間次第だが。
タイピングが苦痛でない(場合によっては鍵盤楽器の演奏に近しい物を感じて楽しんでいる時すらある)上に、推敲もせずに書く事が多いので、もっとも地に近い物が出るのかもしれない。
僕の口調は大きく分けて二つに分裂してる(ガチガチの口調か、砕けすぎの口調か)というのは時々言われる事だが、これはこれで厄介なのである。
緩衝材としての中間がない事には、バランスが悪すぎる。
意識して会話できる程器用では無いので半ば諦めていたのだが、最近一つの解決策を見出した。
方言である。
二十年以上生きて染み付いた口調は変えられなくとも、新しく獲得した口調ならば上手く緩衝材足り得るのではないだろうか。

などと勢いで言ってみたが、どう考えてもこの口調から方言になって、それからさらに普段の砕けた口調になったら、そっちの方がバランスが悪いわな。