なぜ

「なぜ人を殺してはいけないのか?」
一時流行ったが、未だにこういう質問が出ているようで。


別に、何を質問しようが勝手なので「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問をするのは自由なのだが、この手の質問を目にする度に、「あなたは、なぜ人を殺してはいけないと思うのか?」と尋ねたくなる。
例えば、イスラムでは豚肉を食べることを禁じている。ヒンドゥーでは牛肉を。
それぞれ、「なぜ食べてはいけないのか」は、教義の上で、理由付けて説明されている。
だが、ベジタリアンでもイスラムでもヒンドゥーでもない人に、「なぜ肉を食べてはいけないのか?」と聞くのはヘンだ。
聞かれた方にしてみると、「それってベジタリアンの話? それともイスラムの話? ヒンドゥー? もしくは新興宗教の戒律?」と、逆に質問してからでないと、答えられない。
「なぜヒンドゥーorイスラムでは、豚肉or牛肉を食べてはいけないのか?」という質問なら、答えられるけど。


「なぜ日本の法律で人を殺すと罰せられるのか?」という質問なら、答えられる。
だが、さも「人を殺してはいけない」というのが絶対的真理であるかのように、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と聞かれても、そもそもの「人を殺してはいけない」というのが、普遍的ではないから、「あー、おたくさんはそう思ってるんですか。別にウチでは人殺してはいけないわけじゃないんで」でお終いである。


んなこたぁ改めて言うことでもないが、この世に、万人共通の「やってはいけないこと」なんて存在しないし、「やるべきこと」なんて物も存在しない。
一部の人間が「やってはいけない」と主張していることがあるだけで。その「一部」が多いか少ないか、またあなたがその「一部」に含まれているか否かというだけだ。
ただこれまで奇跡的にマジョリティに属し続けた人や、とんでもなく純粋な人は、世の中には善と悪があって、やってはいけないこととやるべきことがあると思っているのかも知れない。
本当にそんな人がいるのか、疑問だが。
僕自身は、熱心な宗教信者ですら、ふとした瞬間に教義に疑問を抱いている物だと思っている。そしてその疑問から来る不安を払拭するために、より熱心な信仰に繋がるのだと。まぁ自分が熱心な宗教信者じゃないから、本当の所はわからないけど。


多分、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と聞く人も、「人を殺してはいけない」という信仰を持っていて、それが揺らいでしまいそうで不安だから、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と質問するのではないだろうか。
だって、この手の質問をされて、「殺してはいけないなんてことはありませんよ。もし殺したくなったら、自由に殺しなさい」って答えて、満足されたことないもん。
もちろん、その後に「現行の日本の法律では、特定の状況を除いて故意に人を殺すと罰せられるので、それを覚悟した上で殺した方が良いし、仮に人を殺すことになっても極力僕と無関係の人を殺すようにしてくださいね」と続くわけだが。


殺されるのが嫌だから殺してはいけないなど、ナンセンスにも程がある。
殴られるのが嫌なボクサーは、リングの上で相手を殴ってはいけないらしい。


死にたいヤツは死のうとすればいいし、殺したいヤツは殺そうとすればいいし、食べたいヤツは食べようとすればいいし、生きたいヤツは生ようとすればいい。
ただ、やりたいからって出来るかどうかは別なわけで。
殺されたくないヤツを殺そうとしても、すんなりは行かないだろうから、なるべく殺されたいヤツを殺すのが、人を殺したい時に楽に殺す最大のコツだろう。


なんかすげー退廃的なこと言ってるように受け取られてしまうかもしれないけれど、別に極当たり前のことでしかない。
自分と遊びたくないヤツと遊ぼうとしても、すんなりは行かないだろうから、なるべく遊びたいヤツを探すのが、人と遊びたい時に楽に遊ぶコツだろう。って言ってるのと変わらないのに、なぜ人の死だけそこまで特別視するのか。
こういう所にフタして隠してっから「なぜ人を殺してはいけないんですか?」なんて質問が出ちゃうんじゃないか。