光を否定

命は光。否、闇の中の瞬く光だ。
どこぞの姫の台詞である。
この世の光は全て思い込みと妥協が生み出した嘘っぱちである。
いきなり何言ってんだお前はって話だが。
真に「人のため」なんてありえない。真に「誰かのため」なんてありえない。
あるのは百億通りの「自分のため」だけである。
寒いねぇとか寂しいねぇとか蔑むなら勝手にしてもらって構わない。同時に僕は、そんな貴方に蔑みを返そう。たとえその事で僕が偽悪者になろうとも。
世の中が残酷なのは当然の事であり、この世に真に他者を主体とした愛や友情など存在しなくて当たり前であり、善と呼ばれる全ては偽善であって当たり前なのだ。
貴方が誰かを愛したとする。その愛する人のために命を捧げたとしよう。
でもそれはやはり、「自分が、相手が死ぬのが嫌だから命を捧げた」のである。単に、自分の命と相手の命を天秤にかけ、「自分にとってより良い方」を選択したに過ぎない。
それに「自己犠牲」や「相手のため」などの言葉をつけるのは勝手だが、結局相手が望む事をしようが、相手のためになることをしようが、「自分が相手の望む事をしたいからした」というだけのことなのだ。
そう考えると、ストーカーの偏執的な愛も、恋人同士の愛も変わりが無い。自分が満足する為の行為かどうかという点において。
違うのは、相手も満足しているかどうかだけだ。
で、貴方は相手の満足を、相手の気持ちを、相手の望みを計れますか?
僕には無理だ。絶対に。
どんなにこのちっぽけな頭を働かせようと、そこに生まれるのはあくまで「僕が思う相手の気持ち」であり「僕が思う相手の幸せ」でしかない。
僕は僕という肉体を離れない限り、永久にこの自己という密室から抜け出す事は出来ないのである。

貴方も、そうでしょう?