闇を否定

命は光。否、闇の中の瞬く光だ。
やはりどこぞの姫の台詞である。
この世が闇に覆われているのは当たり前の事である。闇こそが世の本質であり、人は、宇宙は、神は、きっと闇から生まれ闇に還っていくのだろう。
だが、それでもあえて言いたい。
この世にあるのは闇だけじゃない。
たとえ僕が君の事を考えた時に、僕というちっぽけな存在のちっぽけな脳内で作られた「僕が考える君」の事しか考えられなくとも、僕が「君の事を考えようとした」事に違いは無いのである。
そしてきっと、それこそが光なのだと思う。
僕は世界を正しく視る事なんて出来ない。
僕の目を通して、僕の脳をもってしか世界を認識する事は出来ない。
だから、僕は何かを考える時にも、「僕にとっての何か」しか考えることが出来ない。それはおそらく君の考える「君にとっての何か」とは違うし、両者のイメージをどんなに的確に示し合ったところで、共有する事は不可能だ。
でも、全く違う回路で入力された物が、全く違う回路で形成され、全く違う回路を通して再び形になって外部に現れた時、それを他者と少しでも共有しようとする事、それ自体に意味があるのだろう。
同一の存在がありえないという点において、僕らは全て独自性を持った存在なのである。
たとえそれがどんなに無価値に思えたとしても、独自性を持っているという価値に揺るぎは無いのだ。