脳内会議

 A,B,C,D,Eの五人が狭い部屋に車座になっている。
 一同の顔を見渡した後、しゃべり始めるA。

A「みんなに話があるんだけれど、いいかな」
B「とりあえず話してみろよ。ヒヒヒ」
A「これから先の事についてなんだけれど……」
C「ああ、引越すって話ね。私は嫌よ。去年引っ越したばかりなのに、なんで毎年のように引越さなければいけないのよ」
D「僕も反対だね。全く馬鹿げてるよ。引越す事で何かが変わるのかい。何も変わらないさ。またつまらない事を繰り返すだけ。それなら繰り返さないで済む分引っ越さない方がましだね」
A「でも、引越さざるを得ない状況っていうのもあると思うんだ。当面の問題として、僕らは引越しをしない事には生活すらままならないんだからね」
B「ヒヒヒ、生活もままならないってか。おおそりゃ大変」
E「私は賛成よ。だってここには何もないもの。こんな所での生活はもう嫌なの。もっと都会でもっと便利な所で暮らしたいの」
D「また始まったよ。都会妄信とでも言うのかね。具体的にここと都会とやらとで何が違うっていうんだい? せいぜいコンビニが近いか遠いかの違いさ。どうせ行きもしない繁華街が近いか遠いかなんて事が、生活にどう関わるっていうんだ?」
E「あなたと一緒にしないで! 私は買い物だってしたいし、もっと色んなお店にも行きたいの」
D「そして流行とやらに乗せられて、要りもしない物を買って喜ぶのかい? 女の子っていつもそうさ。要る物と要らない物の区別ができないんだぜ」
C「その発言は聞き捨てならないわね。女性蔑視よ。それにいい事? 買い物ならここでも出来るわ。お店にだって困らない」
B「車で片道一時間以上かかる県庁所在地まで行けば、な。ヒヒヒヒ」
C「あなたは黙ってて。それに都会に住むっていう事がどういうことだかわかっているの? 家賃だって高くなるし、都合のいい事ばかりじゃないのよ」
E「それでも、私このままじゃ決定的な何かが失われていってしまう気がするの。ねぇ、わからない? こういうのって。どうしても乗り遅れてはいけない電車が出発してしまいそうな、そんな感覚よ」
D「錯覚の間違いだと思うけれど」
A「ちょっと待って貰えるかな。引越すと言っても、具体的にどこに引越すか決まっているわけじゃないんだ。そもそも僕らは、引越しをする事自体が目的で引越すわけじゃないんだからね」
C「どういうこと?」
A「仕事の問題ってことだよ。今僕らには丁度仕事の口がある。でも赴任先がどこになるかはわからない。だから引越す事についても覚悟した上で、仕事を請けるべきだと思うんだ」
D「やれやれ。だとしても答えは変わらないね。僕は引越す事自体に反対だ。だからその仕事とやらを請ける事にも反対って事さ」
C「私もそうなるわね」
E「赴任先がわからないって事は、今より田舎に引越す事になるかもしれないって事? 嫌よそんなの!」
A「その可能性がないわけじゃない。けれど確率で言ったら最も高いのは東京だろうね。まぁもちろん絶対とは言えないし、ひょっとしたらそれこそコンビニもないような場所に行くことになるかもしれない」
B「ククク。ど田舎だなそりゃ。そうなったら愉快だ」
E「嫌。私絶対に嫌!」
A「オーケー、わかったよ。みんな反対って事だね。でもそれじゃぁどうやって生活するんだい? この仕事を断って、それでも生活していける程の自信がみんなにはあるんだね?」
C「それは……そうね。確かに引越すのは嫌だけれど、生活の為なら仕方ないかもしれないわね」
E「私は嫌よ! 東京なら行ってもいいわ。でも今より田舎になるんだったら絶対に嫌!」
A「それは請けるまでわからないけれど、多分選ぶことは出来ないと思う」
D「僕はそれでも反対だね。そもそも生活の為って何だい? 僕らはそんなくだらない経済社会の一端となる事でしか生きられないってわけか。まったく、大した自由社会だよ。まさに資本主義万歳ってやつだ」
C「問題をすり替えても何も解決しないでしょう。ここはやっぱり、仕方がないのよ。それともあなた、明日食べるご飯もない中で生きていけるっていうの?」
D「ハッ、仕方がない? 大人はすぐこれだ。ああ僕は明日の飯の保障なんてなくても十分生きていけるさ。そもそも人はそうやって生きてきたんだからね。堕落した現代人として経済社会に組み込まれて生きていくより、一個の個人としての生活を送ることを僕は主張するよ」
A「君はそれでいいかもしれないけれど、少なくとも他の僕らはそれじゃ困るんだ。冬の雪の中、野宿するなんてごめんだしね。君だってそれは望む所じゃないだろう?」
D「なんだっていうんだ。何のためにみんな働いているのさ。生きるため? ただ生きるために生きるだけなら、豚や犬猫と変わらないよ! だったら畜生は畜生らしく生きればいいのさ! とにかく僕は引越しにも仕事にも反対だ! もうこれ以上話すことはないから、僕は帰るよ!」

 退室するD。それを見送る一同。

B「一人脱落ってか。ヒヒヒ。どうすんだ? 残った奴だけで話すのか?」
A「そうするしかないだろうね」
E「私の話も聞いてよ! 働くのには賛成よ。そりゃ働けなければ暮らしていけないもの。でも、絶対に田舎に引越すのは嫌なの! ねぇ、お願い、それ以外だったらなんでもいいから、田舎に引越すのだけはやめて」
A「そう言われても、僕が決める事じゃないよ」
E「お願い。あなたにはわからない? 私達、今が文字通り『ぎりぎり』なのよ。ここが私達が私達でいられるぎりぎりの場所なの。これ以上田舎に行ったら、私達きっともう元には戻れなくなるわ。そうしてバラバラになって、二度と取り返しのつかない何かを失うんだわ! どうしてそれをわかってくれないの!」
A「そう言われても、やっぱり僕にはわからないよ。少なくとも僕らは買い物をする事で僕らとしての形態を保っているわけじゃないし、都会に住むことが僕らのアイデンティティとなっているわけでもないと思うけど」
E「どうして? どうしてわかってくれないの? 私達にとって都会というのは、そう、生まれ故郷や巡礼地のような、そんな物なのよ! なのにどうしてそれがわからないの!」
A「僕にはとてもそんなシンボリックな物だとは思えないよ。悪いけど」
E「どうしてなのよ! どうして……」

 その場で泣き崩れるE。

B「女は泣けばいいってか。ケケケケ」
C「泣いても何も解決しないわ。ねぇ、ちょっと落ち着きなさい。冷静に、私達に今何が大切か考えるのよ」
A「ちょっと間を置こう。冷静になって。水でも飲んだ方がいい」

 Eを連れて部屋の外へ出るA。
 部屋の中にはBとCの二人が残される。

B「ヒヒヒ、結論が出ないまま終了。いつも通りのパターンってか」
C「あなたっていつもそうなのね。自分の意見は述べずに見てるだけ」
B「こりゃ痛いところを突かれたな。ケケケケ。そうさ俺はただの傍観者。ヒヒヒ」
C「でもそうやって傍観者を気取っているあなたも、私達の一人なのよ。あなたがそうやっている間にも、あなたを、いいえ、私達を取り巻く環境は変わっていくし、時間は流れていくの」
B「おやおや、いつになく絡むねぇ。ケケケ」
C「この際だから言っておくわ。あなたはただ怖いだけなのよ。あなたの意見であなた自身の周囲が左右されてしまう事が。あなたは傍観者になりきる事で責任と義務から逃れているのだわ」
B「言ってくれるねぇ」
C「でもそうでしょう? 自分の選んだ選択が間違っていたら、そう思うと怖いから、何も選択せずに傍観し続けるのよ。でもね、それは『何も選択しない』という事を選択しているんだわ。傍観者になるという事をね。結局それもあなた自身の選択で、あなた自身の責任なのよ」
B「そこまで言われるとは、こりゃまいった。ヒヒヒ」
C「その型にはまった口調も態度も、全部傍観者であり続けるための、自己防衛のための行為なんだわ」
B「ヒヒヒ、とするとあんたのその攻撃的な態度は、責任を少しでも分担して自己防衛するための行為って事になるぜ」
C「そうね。そうなるかもしれない。でも、少なくとも私は、私が関わった選択に関して責任を負う事は、仕方のない事だと諦めているわ。私だけが負わされるのはまっぴらごめんだから、こうして責任を負うべき人に自覚を求めるけれどもね」
B「まったく、強いねぇ。女にしちゃ強すぎる。いや、女だから強いってか。ケケケケ」
C「あら、その発言は女性蔑視よ」
B「違いない。ヒヒヒヒヒ。だがそこまで言うからには、この選択に関わった『全員』に自覚を求めるわけだよなぁ」
C「そうね。『全員』にね」
B「と、いうことだぁ。残念だったなぁ。ケケケケ。あんたは俺たちに相談させて自分は何も考えずにいようって腹だったんだろうが」
C「結局私達では結論は出そうにないわ。それぞれの意見はばらばら。でも私達はそれぞれの意見に責任を負うし、それぞれの意見がばらばらだったという事それ自体が私達の結論だと、誇りを持って言えるわ」
B「いうねぇ。ま、あんたも気の毒になぁ。ヒヒヒ」
C「ねぇ、これを聞いているのか、それとも見ているのか、あるいは書いているのか、私にはわからないけど、そう、あなたよ。あとはあなたが自分で決めなさい。私達の意見はばらばら。それが私達、いいえ、少なくとも私の出した結論よ。だからあとはあなたの問題。違うわね、これは元々あなたの問題だったのだわ」
B「違いねぇ。クククク」

――やれやれ。ここまで書いて僕は溜息をついた。
なんだ、これではまったく彼らに相談させた意味がないではないか。
ああ、無駄な、まさに無駄な時間だったといえる。
だが一番無駄だったのは、こんな文をここまで読んだあなたの時間かもしれない。
そう考えれば――僕より時間を無駄に消費した人がいると考えれば――あるいは僕も救われるかもしれないのだ。