感覚と理論

感覚的な話と論理的な話もまた似たような物である。
感覚的な言葉は、その感覚を共有出来る者にしか伝わらない。
だが論理的な言葉もまた、その理論を理解出来る者にしか伝わらないのだ。
僕自身は感覚的な話をする術に長けていないと自分で感じているので、何かを説明する時には極力感覚よりも理論を重んじて説明するように心がけている。
また一般的にも理論的な話の方が有効とされる場合が多い。
だが長嶋茂雄のような感覚的な話は、近い境地に達した者にとってはどんな論理的な言葉を尽くすよりも意味のある言葉なのではないだろうか。
所謂至言というやつである。
そこに達した人しか、そこに至った事のある人にしかわからないが、だがどんな論理的な言葉よりも正確に伝わる感覚というものが、きっと世の中には、ある。
世界は決して理論だけでは表現出来ないのだから。