上へ

あたりまえだけど、高くて険しい山ほど登るのは困難。
例えば富士山で満足できなかった人間は、エベレストやらに登るしかない。
エベレストで満足できなければ、成層圏突破か。
太陽系から脱出しても満足できなければ、天の川銀河からもさらに先へ。
エベレストの山頂にいる人間に比べ、富士山の山頂にいる人間は、「自分はなんて低い位置にいるんだろう」と嘆くだろうか。
海抜0メートル地帯でも、とりあえず海に沈んでなけりゃいいや、と思える自分は、向上心がない人間なんだろうと思う。
山なんて登りたい奴が登ればいいし、登りたくない奴は登らなければいい。
なのになぜ、登っている他人を羨み、自分も上へ行かねばと焦るのか。

別に登山が趣味じゃないなら、無理に登ることはないだろうに。
金にしろ女にしろ地位だの名誉だの、それを得るのが趣味の奴だけが求めればいいだろうに、なぜ回りが求めていると、自分も求めねばと思うのか。
より高い山に登ることに価値を見出すのは、登山家だけで十分だ。

さて、この考え方すら、自らの反骨精神が生み出した物なのだろうか。
結局のところ周囲に対する羨みや焦りが、山を登るという行為ではなく、逆に降りるという行為として表れているだけなのか。
そんなことを考えてると、何も出来なくなるわけで。