何になりたいのか

将来何がしたかったのか。
「子供の頃の夢」なんてもんは、誰でも漠然と一つや二つあるだろう(ないという人も恐らく忘れているだけで、3歳児だのの頃にただ漠然と『警察官になりたい』などの夢はあったと思う)。
その時の夢は、どの程度信頼できる物なのか。
例えばここに、「カレー屋になる」というのが将来の夢だと語る子供がいたとする。
彼はカレー屋についてどれだけの事を知っているのか。原価と人件費だのや客数を考え販売価格を決め、来た客に「赤字にならないように作られたカレー」を販売する。
それが本当に彼のやりたい事なのか。
彼の動機は単純だ。「美味しいカレーが好きだから。カレー屋さんなら自分も食べられるし、お客さんにも美味しいカレーを食べて喜んで欲しいから」。それだけでカレー屋になれれば美談かもしれない。
だが、どんなに美味しいカレーを作っても客が来なければ生活できないし、どんなに美味しいカレーを客が食べに来ても、生活費を稼げるだけの儲けを出さなければ生きていけない。
彼は本当に、そんなことがしたかったのか。
何もカレー屋に限らない。警察官でも、消防士でも、国際線のパイロットでも、宇宙飛行士でも、農家でもなんでもいい。
子供の頃に「これになりたい」と考えた職業。その職業に対する憧れは、その職業を志望した理由は、本当にその職業を理解した上での物だったのか。
職業に貴賎なしとは良く言ったものである。
どいつもこいつも、生きるために、生活費を稼ぐために働いているのだ。
結局の所、生活する為に必要な金という物に支配されているわけであり、雇われている人間も、雇っている人間も同じだ。

やりたいことはないの?
なりたいものはないの?

あります。金に支配されずに生きたい。それでいて現代的な生活を捨てたくない。
それがどんなに実現が難しいことか理解した上で、仕方なく妥協して、ベターな仕事を選ぶわけである。
(宝くじを当てて〜とか億万長者になって〜などは、金の支配から逃れたとは言えない。結局の所、生活する上で金という物に依存しているのだ。資本主義社会の必然である)