効率化だとかなんだとか

残業割増論争に寄せて|マイノリティの地平へ
何回か効率だの生産性だのについて、言及したけど、やっぱり世の中にはここに出てくる例のように、「働くことそれ自体が美しい」という考えの人がいるんだろうなぁ。

同じクオリティの仕事に10時間架けた人間と8時間架けた人間では、10時間架けた人間の方を評価する管理職の感覚も同じくらい問題じゃないかと

10時間掛けるとか、長時間残業するとか、それ自体が「仕事をちゃんとやっているかどうか」の評価になってしまうという。
時間を掛けてコツコツ労働するのが偉いってな信仰なんだろう。


そりゃ確かに、ズルしてササっと終わらせるのは、良くない。
ラソンで、途中ショートカットしたり、電車使ったりしたらアウトだろう。でも、2時間で走り切った人間と、4時間で走りきった人間なら、評価されるのは2時間で走りきった人間である。


仕事だのなんだのも、これと同じはず(それどころか、「ゴールに着く」というのが目的で、手段は問わないのなら、車や電車を使うのもアリ)なんだが、なぜか時間を掛けた人間の方が「真面目」「しっかり仕事している」と評価されることが多い気がする。
管理職はもちろん、労働者自身にも「早く終わっちゃうと申し訳ないから、長時間仕事をしないと」という傾向があるのではないだろうか。もちろん周りの慣習によってそういう思考に持って行かれるわけだけど。
結果、仕事が早く終わる人間にはより多くの仕事が来て、周りより多くの仕事をこなすことになる。
だが、労働時間で「仕事しているか否か」を判断される状況の場合、10時間で三つの仕事を100%のクオリティで上げた人間と、10時間で一つの仕事を100%のクオリティで上げた人間は、「同じように仕事している」と思われてしまいがちだ。


っていうか根本的に、「10時間で三つの仕事を上げた」のか「10時間で一つの仕事を上げたのか」の判断を、周りが出来ないorしないケースが多いんじゃないだろうか。


ってなんか、「早めに仕事終わらせるとやることなくなっちゃうから定時まで引き延ばす公務員」みたいな話になってるけど、そこまで極端な話じゃなく、一般企業でも「影で人の三倍の速度で三倍の仕事をしている人」ってのがいるんじゃないかなぁ。


きっと今日も、誰かが10時間かけて一つの仕事をやっている横で、その人は三倍の速度で仕事をこなしているのだ。報われないけど*1

*1:まぁ評価されるまでに時間がかかるだけで、大抵の場合最終的には認められるだろうけど
逆に言えば認めることの出来ない環境が悪すぎるわけで