自分基準
ぼかぁなんと言いますか、妙に堅苦しい言葉を使う癖がありまして、別に意識して使いたいわけじゃないのに使ってる時があるわけなんですよ。
地方に引っ越してみて、「あ、これって地方の人が方言話さないように注意してて、妙に変な標準語になっちゃうのと一緒だ」と気がつきました。
ええ、家庭環境は悪くないと思うんですが、根がアホなんですわ。
そんなんだから、意識して書いたり喋ったりしねーと、どんどん言葉が悪くなってって、ただでさえ辛辣なこと言うのにそれがより酷くなって、仕舞いにゃ普通にざけんなとか、はぁボケとか口から出てくるわけよ。
で、
我々は、恐らくこれまでも、これからも、我という個人の感覚しか知れず、彼我の認識が本当に共通の物かを確かめる術もないままなのだろう。
そんな状況では、真の客観というものは存在せず、多様な主観を自らの中に準並列的に存在させるのがやっとだろう。
相手の思考を、あくまで自らの中で擬似トレースすることしか出来ないのだ。
崩そう
上のような文章になっちゃうわけで。よーするに「どんなに頑張っても、君と僕は他人だし、人が何をどう感じて考えてるかなんて覗けるわけないよね」って話なのに、必要以上に長くなってもうダメ。
本題
そんな感じだから、ある程度の約束事を決めるしかない。
算数を例に出すなら、1+1は2で、1+2は3で、9の次は位が上がって10になる、みたいに。
それが真実かどうかは別として、1+1は誰が計算しても2になるという「約束事」を作っておかないと、会話も成立しないのだ。
で、そっから発展して
xの2乗+4x+5=17 さぁxはいくつ?
って話が出来るのである。
実際のところ、議論だの意見の対立なんてのも、この数式の答えが何かを言い合ってるようなもんだ。
ただ、数式があまりに複雑化しすぎて、かつその言い合いの参加者の中に、四則計算もおぼつかない人がいたり、さらには1+1が3であるという約束事で生きている人がいたりもして、会話を複雑化させている。
さて、上記の「xの2乗+4x+5=17」だけど、中学時代のおぼろげな記憶を辿ると、どうやら答えは「2」であるっぽいことがわかる。
だが、ここで「x=2だ!」という主張をすると、対立する勢力がある。「x=-6だ!」という勢力である。
マイナス×マイナスがプラスになるということを信じられない・知らない人は、「x=-6」でもあるといくら説明されても、騙されていると思うだろう。
極端な例だけど。
脱線
閑話休題まで読み飛ばし推奨。
例えばあなたは昔、小学生、あるいは幼稚園生だったころ「なぜマイナス×マイナスがプラスになるのか」「底辺×高さ÷2がなぜ三角形の面積になるのか」「6x+3x+12=0の場合、なぜ2x+x+4も0になるのか」といったことを、全て説明出来ただろうか?
あるいは今、無意識に記憶しただけの三角関数の公式について、瞬時に「サインコサインタンジェントの関係はこれで正しい」と証明できるだろうか?
まぁ出来る人もいるんだろうけど。
数学の公式、特に高校辺りまでの数学ってのは、「なぜそうなるのか」を無視して「これが公式だから覚えなさい。これを使って解きなさい」と教えられるだけのことが多かったと思う。
「なぜインターネットが普及したのか」「なぜ流行が起きるのか」「なぜ円安や円高など円の価値が変わるのか」
こういったことを、自ら検証し、証明していくのは難しい。
結果、誰かに「これが公式だから、覚えなさい」と教えられたことを正解だと思い込み、その公式を使って、自らの考えを生み出していくことになる。
ここに仮に「なぜ法を犯してはいけないのか」を自ら考えることなく、「捕まらなければ、積極的に法を犯しなさい。それが賢い生き方で、抑圧されることのない良い生き方なのです」という風に教えられた人と、「法は犯してはならないものです。法を遵守し、清く正しく生きることこそ、良いことなのです」と教えられた人がいるとする。
彼らは互いにその教えこそが正しいのだと信じていて、自ら「なぜ方を犯す・守ることが良いことなのか」を考えない。
そんな二人が法について語ったとしても、永久に平行線を辿るままだ。
そう、前提の「約束事」が違うのである。
4×5が20かどうかという話をするには、まず、両者が4+4+4+4+4が20だと認識している必要がある。
ところが、片方が16進数の約束事で生活していたり、片方は8進法だったりすると、全く話はかみ合わない。
閑話休題
1+2=3であることに関して、たぶん君と僕の間で摩擦は生じない。
1+1=2の約束事で生きてる人にとってはそれは「当たり前」のことだからね。
で、じゃぁ、みんながみんな共通の公式(約束事)を持てば、「少子化問題をどう解決するか」みたいな難しい問題も、同じように解くんだから、答えも同じになるのかな?
世の中の問題ってのは、数値化出来ないし、どこが問題なのか見つけるのも難しいし、まず公式を適用させるまでが難しい。
太郎くんが時速8キロで池の周りを〜みたいな文章問題になるだけで、とたんに面倒になるよね。
でも、もっと大きな問題があると思う。
思い出して欲しいのは、すんげー話戻るけど、
xの2乗+4x+5=17 さぁxはいくつ?
ってヤツ。
x=2,-6であることは、みんなわかってる。計算間違いしちゃって間違ってる人も中にはいるけどね。
けど、中には、x=2だと都合がいいけど、-6だと都合が悪い人もいるんだね。
そういう人は「xには2も-6も両方当てはまる」とわかっているんだけど、「x=2である」と主張する。
同様に-6だと都合が悪い人もいる。
どちらも一見間違いじゃないから、タチが悪い。
特に政治っていうのは、そんなタチの悪い騙しあいの合戦なんじゃないかな。
国民の皆さん、x=2の方が正しいですよ。試しに2を入れて計算してみてください。ほら、合っていたでしょう?
-6なんて入れたら大変なことになります。
ぜひとも次の選挙は、我が政党にお願いします
あ
読み返したら、脱線の方が今日のタイトル通りの内容で、本題の方が脱線してる。