魂の交換

当然出来ない。君と僕はどんなに分かり合っても魂は交換できないし、僕が見てるものをどんなに上手く言葉にした所で、それその物ではない。
君と僕はどうしようもないくらい決定的に別人だし、他人だ。
愛だの恋だの友情だのと言った言葉で幻想を抱き分かり合えると錯覚するのは勝手だが、結局のところ他人なのである。
んなこたぁテメーに言われなくてもわかってるよ、ってなもんだ。
でもじゃ何故我々は、分かり合う事は出来ないと知りつつも分かり合う事を望むのだろう。
これって最早、「騙されたい」って欲求と言えるんじゃいかね。自覚無自覚は別にして。
人は結局孤独なんだけど、でも孤独に耐えられる人間なんていないから、孤独じゃないと思い込んで生きている、という。

話題は変わるが、よく先人に色々な質問をして教えを乞うという企画を目にする(スポーツ選手や、音楽家、クリエイターなどと呼ばれる人たち等)。
それらが全て無意味だとまでは言わない。
が、注意しないといけないのは、やはりその先人と自分は別人だって点なのではないだろうか。
例えば偉大な作家に文章について聞くと、「小説で重要なのは発想力だ」とか答えるのと同じで。
かの作家はすでに文章技法とでもいうような物を十分に身に着けているからこそ、そう言えるわけで。
これを真に受けて、「発想力さえ磨いてれば文章クソでもイケるんだ」とか勘違いしちゃいけませんよ、奥さん。という。

で、これを拡大解釈していくと、いや、オメーのアドバイスはわかっけど、俺はまずまだその段階にすら行ってないんだから、そんなハイレベルな話されても困るよ。とりあえず現状の俺のレベルに合ったアドバイスをくれ。ってことになる。
上手く生きることが困難な人間に、いきなり人生の楽しみ方を説かれても、無理なんですわ。まず人並みの幸せを感じられるようになるところからアドバイスしてくれねーと。