ego

自他共に認めるegoistである。
常にegoisticでありたい。だが決してselfishではありたくない。
情報が断絶される事を恐れる僕は、周りの情報を得た上で貫けるegoは欲しても、周りの情報が見えない盲目にはなりたくない。
だが一般社会で生活をしていくと、そうもいかない事が多い。だから僕は目を瞑る。
醜い自分が見えなければ、気付かずに暮らせるから。

偽悪者である。
常に偶像を偶像だと指摘し続けていたい。決して割り切った大人になんかなりたくない。
偽悪は子供の行為であると自覚しながらも、決して妥協せず、常に陽の当たらぬところで死んでいく者の声を忘れずにいたい。
だが一般社会で生活をしていくと、そうもいかない事が多い。だから僕は耳を塞ぐ。
賛美歌が聞こえなければ、気付かずに暮らせるから。

偽善と怠慢に満ちた虚構を打ち破っていきたい。生の陰では常に死がある事を自覚し続けていたい。虚光と虚無に満ちている事を糾弾し続けていきたい。
だが一般社会で生活をしていくと、そうもいかない事が多い。だから僕は言葉を吐く。玉石混淆、見分けがつかない程言葉を吐けば、気付かれずに暮らせるから。

もう神様にお願いするのはやめよう。――どうか、どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように
〜恋愛中毒〜

歌詞の引用ばかりでは飽きるのでたまには小説から引用してみる。
実践していきたいし、出来るであろう言葉の一つだ。動機は小説内とは違うが。

皆よく他人にそこまで関わっている余裕があるな、と関心するばかりである。
自分にはそんな余裕は、無い。
社会生活を営む上で不具合が起きない程度の関心を抱くのが精一杯だ。
もちろん頼まれたり相談ごとをされれば、応じる。ただそれは僕が殊更他人に深く関心があるからではなく、暇な時間に出来る事だからやっているに過ぎない。どうせ暇な時間ならば、一人でだらだらしているより誰かのためになった方が効率が良い。
なにより、僕は他人に深く関わるには、あまりにもその能力が足りていない。

僕にとって「好き」とは相手の人格に関係なくただ一緒に過ごした時間が長いというだけのことであり、「嫌い」というのはただ一緒に居たくないというだけの事なのかもしれない。
それ以上の深い感情を感じた記憶がない。

自分以外は、人も犬も猫も猿も鳥も皆、「自分ではない」という意味で同価値ではないか。

しかし自分で「大人になりたくない」なんて言っちゃうとは、本当に救いようのない厨房だな、と自嘲する。
ついでに毎日更新はPCの調子悪くてだるいので、やめることにする。挫折も早いな。