日曜

丸一日惰眠を貪る事と読書とパソコンいじってる事の三つに費やしてみた。
立川談志じゃないけれど、読書は永遠に貧乏人の暇つぶし足りえる。なにしろ図書館利用で無料という素晴らしさ。
で、カラーテレビ普及後の、テレビが貧乏人の暇つぶしの王道だった時代は徐々に終焉を迎え多様化と細分化の道を辿っていると思うけれど、では21世紀の新たな貧乏人の暇つぶしはとなると、やはり現時点ではネットでしょう。定額接続が普及して以来、とにかく(初期投資は多少金がかかるけど)ほぼ無料に近い金額で無限に近い情報を能動的に得る事が出来るという。
受動的メディアしか受け付けない人間からすれば、いまだ能動的に取捨選択することを必要とするネットは受け入れられない物だろうけれど、時間と共に閲覧者に必要となる能動性は減少していくでしょう。2chまとめサイトやニュースヘッドラインまとめなどはまさに受動的になるためのサイトなわけで。

つまり結論としては、僕はお金がないと、本を読むかテレビを見るかネットをやるかくらいしかないんですよ、って事になる。
うーん、これでいいのか。勉強とか。

しかしウェブブラウジングして情報の波をただただ浴びる行為というのは、精神的に溺れているようなもので、ハマると抜け出せない危険性が高いんだろうなぁ。
ネットの素晴らしい所(同時に欠点でもあるが)は、生産者側に回る事を(その生産物の質とは無関係に)容易にした事だろう。
これまで一握りの生産者と圧倒的消費者という図式だったものに、消費者がちょっと自分のサイトで文章書き殴ればあっとういう間に生産者側にも回れるという道を加えたのである。
これにより情報は氾濫し劣化コピーされた情報や歪められた情報が悪夢のように乱雑に行き交う事になるのだが、まぁこれもネットの醍醐味ということで。

よくこれに対し、ネット上に乱雑な情報が氾濫しているのは過渡期の一時的な現象であり、時間と共に洗練され情報がよりスマートに行き交う事になるだろう、といった主旨の意見を目にするが、はたしてどこまでそうなるのか。
情報をスマートに行き来させる為には、情報発信者を制限して情報の質を一々検証しないといけないわけである。これではネットの持つ神経細胞的な、突発的信号伝達による非常に早い速度での速度伝達に支障を来たすのではないか。
我々のPCがニューロンだとしたら、ネットとはシナプスであり、その信号伝達には何の規制もなく、距離も場所も関係なく一瞬にして伝達されていくから面白いのではないだろうか。
つまりまとめサイトなどによる情報の整備が進んだとしても、依然取りこぼされていくような個人blog単位の情報網は残り、また2chのような玉石混淆の何の使い道もない情報の肥溜めのような場所も、ネットには求められているのではないだろうか。


意図的に途中からわけわからん文章にしてみたけど、面白くはならないな。