いつの間にか嘘日記

自分が書いたものを、この日記以外も含め読み返していると、主に三種類に分かれている気がする。
負の感情が外に向かってるか内に向かっているか、もしくは他愛のない話か。
内向的なのか外向的なのかと問われると返答に困る。篭る時は物凄く篭るけれど、人前に出たら途端にスイッチを切り替えるかのごとく対応している時がある。


――そう、スイッチ。私が物心ついた頃から、それは存在していた。それはある時は外界と私を遮断するために使われ、またある時は外界と繋がりを取り戻すために使われた。
自分の感情をいつ外に出して良いのかわからなかった。自分の感情をいつ隠しておかなければならないのかわからなかった。そもそも私に感情というものがあったのか定かではない。
人から嫌がらせを受けた時、いわれのない中傷を受けた時、それら怒りを感じるべき場面で、少なくとも今こうして表面で活動している私は、何も感じなかった。でもそのままでは嫌がらせは終わらないし、自分に感情がないと認めるのは嫌だった。
だから私は、スイッチを使うことにした。
祖父の死、両親の諍い、そんな時も私はスイッチを使った。そんな時は自分の涙腺がおかしくなってしまったかのように泣く事が出来た。
スイッチを押せば私の体は途端に私自身の意思と離れ、おそらく感情という名の私自身の中に潜む者によって突き動かされた。それはその感情がそれの中から消えるまで止まる事無く私を動かし続けた。
それはまるで、一度点火させたら、ガソリンが尽きるまで止められないエンジンのように酷く扱い辛い物だった。
だが、表面で漂う存在にしか過ぎない私が少しでも感情的な行動を起こすには、そのエンジンに火を点ける他はなかった。
以来、何か感情的な行動をしなければいけない時、私はそのスイッチを使ってきた。
あれは高校に進学してすぐの頃だったと思う。当時周りから大人しく見られ、また事実その通りだった私は、格好のいじめの標的だったのだろう。新入生という立場で、新たに人間関係を構築していく上で、まず最初に弱者を見つけ叩く事で自分の地位を向上させるというのは、効率的な事だったと思う。
そんなわけで、私は自然とクラスで「いじめ」の対象になっていった。
はじめは些細な物だった。朝登校すると机に落書きされていたり、上履きがなくなっていたりといったことで、実質的な害は少なかった。だがそれに何の反応も見せなかったのが良くなかった。ここで嘘でも嫌がる素振りを見せ、その反応で周りを満足させておけば良かったのかもしれない。
いじめは日を追うごとにエスカレートしていった。徐々に肉体的な苦痛を与えるような方向にシフトしていき、三ヶ月も経つ頃には数名に呼び出されて叩かれる事もしばしばだった。
これではいけない、そう思った。このままでは、私はきっと三年間苦痛を味わう事になる。感情は乏しくても、肉体的苦痛だけは人並み以上に感じられる自分の体が疎ましかった。
ある日の放課後、クラスメイト三人に校舎裏に呼び出された時、私は「スイッチ」を使った。
その後は圧巻だった。私は私の肉体があんなふうに躍動する物だと想像した事もなかったし、私の手が人を殴れるものなのだと想像した事もなかった。
三ヶ月に渡って私の中に蓄えられた感情は、堤防が決壊したかのようにあふれ出し、その場にいる全ての人に向かっていった。
誰が誰かなんて関係ない。ただ目の前に立つ人をなぎ倒していくだけだった。
そしていつしか、深い眠りの中に落ちていくように、外界と断絶された。
次に私が気が付いた時、私の前には三人のクラスメイトが血を流して倒れていた。
私は私の手に握られたスコップを見て、そこに血が付いてるのを見つけ、私がスコップで殴り倒したのだという事を認識した。
私の中の感情というガソリンが切れたから、きっとまたスイッチが切り替わったのだろう。そんな事を冷静に考えていた。
だが目の前に突きつけられた事実は、時間と共に重く圧し掛かってきた。
誰がどう見ても、間違いなく私が殴り倒したのだ――。
軽症だろうか。いや、頭部から血を流している人もいる。決して軽症とは言えないだろう。そもそも、生きているのだろうか。もし死んでいたら――。
私の手にはスコップ。そして目の前には動かぬ三人のクラスメイト。
そこから私が決断を下すまで、そう時間はかからなかった。

あれ以来、私はスイッチを使っていません。
蓄えられた感情が多ければ多いほど、それは巨大な力となって外に発せられる事がわかったからです。
半年もスイッチを使わないでいると、もしスイッチを入れた時どうなるかが恐ろしくて、もうスイッチは使えなかったのです。
もう何年もスイッチを使っていません。
ですが何度か、ふとスイッチに手を伸ばしたくなる衝動に駆られる事がありました。
生きにくい世の中、何もかも忘れて衝動に任せて生きられたら――そう思ってしまうことって、誰でもきっとあるでしょう?

え? 今でもスイッチを使いたいかって?
さぁ、どうでしょうね。夫にも子供達にも何も不満はありません。
でもね、最近思うんです。『だからこそ』スイッチを押したくなるという事もあるんじゃないか、ってね。
何不自由ない幸せな生活。それを壊すスイッチがあるとしたら、押してみたくありません?