19日の日記に絡めて怒りを吐いてみる

非モテ系である。非モテという言葉が一部で流行っているから使っているだけだが。
恋愛資本主義から脱却した身である。
別にそれ自体はいいんですよ。僕以外に恋愛しないという人間がいようが、恋愛以外に楽しみを見つけて恋愛以外のみで生きていこうと思う人間がいようが構わないし理解できるし、何も問題はないと思います。(正確には種の保存という観点から問題があるのだけれども)

で、ちょっと非モテ系と呼ばれるコミュニティを見ると、もう明らかに後ろ向きというか、恋愛資本主義に取り込まれながらそれを認めていないだけの書き込みが目立つわけですよ。(恋愛は否定しながらも、イチャついてるカップル見るとムカツク等)

まず下の12月19日の日記を読んで僕の気持ちが理解できない人は、競争原理から解き放たれた人間ではないと思います。貴方はまだ恋愛という競争の中にいるままです。もしくは極端に性格が悪いだけか。
だってそうでしょう? 釣りに全く興味の無い人間が、地球の裏側の自分と全く関係ない場所で大きな魚を釣った人がいると聞いても、何も感じないと思うんですよ。
もっと言えばサッカーに全く興味の無い人間はチャンピオンズリーグでどこが優勝しようと全く何も感じないのと同じで。

というわけで、競争原理から離れた人間にしてみれば、誰かが異性と付き合おうがそれで異性のパイが減ろうが全く問題が無いわけです。
例えばみんなで寿司屋に行ったとき、誰かが店にあるウニを全て食べつくしたとしても、ウニが食べられない人にすれば別に全く困らないのと同じで。(もちろんケチな僕としては人数割りで割り勘だったら困りますが、各人の食べた分での会計ならば全く困りません)
なのにクリスマスに一人だとか皆はイチャイチャしてるのに俺はといった理由で何らかの負の感情を抱くのは、まだ競争原理の中にいる証拠でしょう。

で、僕が何故こうも過剰反応しているのかというと、恋愛資本主義から逃げ出した負け犬だと思われるのは構わないけれど、逃げ出したフリだけして未だに競争原理の中にいる人間と同類だと思われるのは絶対に嫌だからです。
競争原理から離れている事を説明しても理解してくれない人の、なんと多いことか。

「僕・私は恋愛が生きる上で重要だと思ってる。だから貴方もそうでしょう?」
こういった価値観を押し付けられるのも普段ならばいなせるのですが、クリスマス・バレンタインという二大イベントの際にはこの押し付けが普段より遥かに大きくなるので、毎年その点に関しては辟易してます。


あー、でも辟易する事自体が競争原理の中にいる証拠だと言われそうだな。

追記:僕は恋愛資本主義・競争原理から逃げ出した事自体に対する責めならば甘んじて受け入れます。
僕が嫌なのは、競争原理から逃げ出したフリをしているだけと取られる事による責めです。
昔から、誤解なりなんなりで自分に責任がない所で責められるのが最も嫌だったので。

さらに追記:要するに同じように競争原理から離れてる人と、競争原理から離れている事の説明の難しさについて語りたいってことです。

さらにさらに追記:別にクリスマスくたばれとか負の言葉を発している人でも、自らが競争原理に取り込まれているままだと自覚している人に対しては、別に何も感じません。むしろ俺には何も出来ないけれど、幸せになってね。