一般化

例えば電車男のヒットは2ch(ネット)を日陰から日向に押し出したけれども、それを好むユーザーばかりだったわけではない。
日陰でしか生息出来ない生き物が、世の中にはいる。
もちろん日向でも生きられるが、あえて日陰を選ぶ生き物もいる。日向を選ぶ生き物もいれば、日向でしか生きられない生き物もいるだろう。

90年代中盤まで、アニメは子どもと極一部のコアなアニメファンの物であり、子ども向けアニメを除けばそこは日陰の世界だった。
アニメブームの到来と共にアニメは徐々に日向へと押し出され、秋葉原にはアニメショップが立ち並び、その辺のフツーの女の子でもアニメを見るようになった。
同じく90年代中盤まで、秋葉原は電子部品とバッタモンや海賊版、一般向けにはせいぜい家電とゲームの支配する街で(それでも家電やゲームならビッグカメラなりさくらやなりに行くように)やはり日陰の世界だった。
電車で十分もかからない場所でありながら、秋葉原に行く奴なんてクラスに一人か二人ってなもんだったのだ。
2ch(ネット)も同じである。
全ての件に共通するのは、当然ながらユーザーの爆発的増加である。
ユーザーが増えることによって陽の光を浴び、そこは一般化されていく。
でも、それは本当に良い事なのだろうか?
冒頭で述べたように、世の中には、日陰でしか生きられない生き物もいる。
彼らが愛した日陰は、いつの間にか消えるのだ。
また、新規参入してきたユーザーも、その日陰に生きる人々が作り出したものに魅せられて日陰に入って来たのではないのか?
だがあなたたちがここを照らせば照らすほど、ここは変わっていくのだ。
これって、観光地問題とかと一緒なのかもね。
沖縄に魅せられた人たちが沖縄に行けば行くほど、彼らが魅せられた沖縄は壊れていく。こう言えば一般化できて理解を得られやすいのかもしれない。
それと同じ事が、きっとここでも起きている。
しかし、観光地問題と同じということは、メジャーになることでの恩恵も当然受けているわけで。
ホテルが建ち、漁業と農業で稼いでいた人がそれ以外の職を得て、インフラが整備され生活水準が上がり、山は削られ、川は死に、ビルが建ち並び、求められたものは発明家と娼婦ってなもんである。
でも、一度その味を覚えちゃったら、もう昔には戻れないんだろうなぁ。

となんだかんだ言ってるけれど、結局は『Peace Markを送るぜ このすばらしい世界へ』なわけである。