勝敗

そもそも議論には勝敗をつける議論と、勝敗をつけない議論が存在する。
議論というものは、異なる意見が複数出たときに行われるものだから、どの意見が正しいのか勝敗をつけようとする人が多いのではないだろうか。
そして、その勝敗のためにはルールを逸脱するような行為をしたりなんてのも、よく見る光景である。


だが、例えば最終的に議決を取るなら、それは議決という形で勝敗がつくが、そもそも出される意見で「どれが正しい」なんてのは存在しないのである。
100人いれば100通りの正しさがあって、各々が自らの「正しさ」に沿って意見を出しているのだから。


つまり議決を取る場合の目的は、「正しい意見」を選ぶためでなく、「より多くの人間が納得できる意見」を選ぶためと言える。
議決を取る前に行われる議論では、いかに自分の意見が「みんが納得出来るものであるか」を理論的に主張するのが目的であり、またいかに他の意見が「みんなにとって納得できないものであるか」を証明するのが目的となるわけである。
民主主義的といえば民主主義的であり、いかにより多数が満足するかの道を探るものだと考えて構わないだろう。
そして「より多くの人が納得できる意見」が可決されるということは、「より多くの人が満足する」ということであり、それは全体で見た場合、勝敗で語れることではないのだ。
言うなれば、全体にとってより有益な意見を選ぶための議論なのだから。