Googleストリートビューに気持ち悪さを感じる人は、Googleの検索サービスに気持ち悪さを感じないのか

さて、Googleストリートビューである。


日本でもサービスが始まって、僕なんかは
「うぉー! すげー! Googleは一体何がしたいんだ!」と思ったり、
「299x年、国家は滅び、今では一つの企業が世界を動かしていた。その企業の名は、Google」なんて書き出しのクソつまらない小説を書いてみたり、
「でもこれ、撮影する人大変だろうなぁ」とか無駄に撮影した人のことを気遣っちゃったり、
「あ、ウチの前、雪積もってるじゃん。これ、今年の2月頃か?」と、家の窓からGoogleカーに手を振れなかったことを激しく悔やんだりと、まぁいい暇つぶしが一つ出来たなって感じなんですが、どうもネット界隈じゃこんなアホばかりではないようで。


で、Googleストリートビューだが、「自宅の表札が写ってる」「ベランダに干してる洗濯物が写ってる」等々で、「ストリートビュー気持ち悪い」という意見がチラホラ出ている模様。
こういう人は、「自分のサイトのバナーがキャッシュされてる」「お絵かきページに晒してる自分の絵にリンクされてる」等々で、「Google検索気持ち悪い」とは思わないのだろうか?

web上公開と公道公開の違い

まぁ、web上に公開するのと、公道から見える位置に公開するのとの差なんだろうけれど、以前「無断リンク禁止なんてのは、公道に絵を飾っておきながら、『勝手に見るな! ここに絵が飾ってあるって人に教えるな!』って言ってるようなもんだ」と言ったように、基本的には同じだと思っている。
「家の住所を知られたら、家の外観まで知られてしまう」というが、「URLを知られたら、サイトのトップ絵まで見られてしまう」と言っているのと、何が違うのか。
単純にこれまでは、「家の住所を知る」から「家の外観を見る」までにかかる労力が大きかっただけで(実際にその場に行けないと見られない)。
これってパソ通時代に、「会社の人にニフティサーブハンドルがバレたら、書き込み隅々まで読まれちゃう!」ってのと似たようなもんじゃないか?
実際に見るのに労力かかるから、殆ど見る奴がいないだけで、可能か不可能かで言えば見ることは可能だという。


ま、「実際にその場に行く」ってのと、「Googleのサービスでささっと見られる」ってのは、一気に敷居が下がった感じで、そこに戸惑いを感じているんだろうけれど。
ただ、ストリートビューよりも、航空写真の方が、「公道から見えないよう高い塀で囲んだのに、空から見られてる!!」っていう「やられた」感が強い気がする。

んなこと言ってるけど、あんただって困りますよ

理屈としては上記のように考えているのだが、世の中理屈だけでは進まないもので、「そうは言っても、あんたが『住所くらいなら教えても問題ないだろ』と思って教えた住所が、ストリートビューで見られるようになっちゃうんですよ。あんただって困るでしょ」と言われそうである。
実際、多少は困る。


僕は今、東京都世田谷区の千歳船橋に住んでいて、家の横にお墓があって〜という情報が、この日記だけで得られるし、何より家の窓から写した写真をこの日記にもアップしてたりするわけで、やる気ならこの日記のエントリとストリートビューだけで、僕の家の玄関をノックするところまで可能だ。
これは確かに怖い。気持ち悪い


けれどやっぱり僕には、「無断リンク禁止」と同じ話だと思えてしまう。


不用意に住所なり写真なりを晒した側が悪いわけであって、その住所や写真の場所を特定出来るツールが悪いわけではない。

回避する術の違い

結局、Googleロボットが勝手にウェブサイト巡回するのと、Googleカーが勝手に街を走って写真を撮ってくるのは、大差は無いのだけれど、それを回避する方法に違いがあるのだと思う。


自宅にcar.txtを置いて指示しておくことで、玄関はいいけどベランダは写さなくなるとか、自宅全体をGoogleカーがクロールしなくなるとか、そういう方法が簡単に出来ればなぁ、と思う。
でもこれもこれで、「robot.txtを置けないサーバーや、htaccessで認証かけられないサーバーにファイルを置いているお前が悪い」って話と一緒だよなぁ。


これからは自宅にGoogleカー回避タグを自由に貼れる物件や、Googleカーからのアクセスのみ弾く物件が人気になるかもしれません。
電脳コイル的に。
っていうか、そういう仕組み作らないとダメだろ。