カミングアウト

やらなければいけないことがある時ほど、他のことをしたくなる。
というわけで、今日(13日)提出のレポートを放置して、「明日から実家に帰るし日記更新出来ないから、今書いちゃおう」という、明らかに優先度を間違った選択をして、これを書いている。


前のエントリで、トランスジェンダーがどうこうと書いた後、ゲイだのバイだのニューハーフだのに関連したサイトを眺めたりしていた。
で、「まぁ言ったところで意味はないし、言う必要もないけど言っておきたいなぁ」と感じたことがあったので、ついでに言っておく。


言うなればカミングアウト。意味合いは違うけど。


以下、言っておきたいこと徒然。の前にいきなり結論。
非モテだオタクへの偏見だなどと訴える暇があったら、自分の中のセクシャルマイノリティに対する偏見をなくす努力をした方がいい。


結論だけは先に書いたので、以降は特に読む必要もなし。




僕は、ヘテロセクシャルである。多分。
少なくとも、今のところ自分で自分のことをそう認識している。
(以下、通じやすさなどの便宜上「ニューハーフ」を「トランスセクシャルで、性自認が女性の人」の意味で使う。
 明らかな誤用であるのは確かなので、読んだ人が「誤用なんだ」程度にでも覚えてくれれば幸い)


ニューハーフの女性を、僕は「子供が産めない・作れない女性*1」と同一視している。
もしこれを聞いて、子供が産めない女性が、「子供を産めない女性はニューハーフと一緒だなんて!」と怒るとしたら、それこそ大変な侮辱だと考える。


「じゃあ、お前はニューハーフ*2と付き合いたいのか」と聞かれると、答えは自明で、「ニューハーフもまた女性である」以上、他のニューハーフでない女性と同列に扱うわけであり、容姿や性格その他を総合的に考慮して、好きになればニューハーフだったとしても付き合うだろう。
実はニューハーフだった本上まなみと、山田花子、今どっちと付き合いたい? と聞かれれば本上まなみだし、実はニューハーフだった山田花子と、本上まなみ、今どっちと付き合いたい? と聞かれればやはり本上まなみである。
もちろん、「ニューハーフである」という点で、社会的ハンディを背負っている(周囲の理解の得難さや奇異の目)のは事実であり、付き合う時に考え直す要因の一つにはなるが、これは「自分がモンタギュー家で相手がキャピュレット家だった」とかと似たようなモノである。
更に、ニューハーフの人とセックスしたことが無いからわからないが、仮にセックスにおいてもニューハーフでない女性と極端に違うようなら、それも障害になるだろう。だがこれもやはり、「付き合った相手とセックスの相性が全く合わない」と似たようなモノである。


遺伝子学的、あるいは生物学的にいったら「同性」である存在と付き合うのだから、本能的に拒否しそうな物だが、現代人は本能が衰えているのか僕が鈍いだけなのか、擬態動物的な擬態性物に騙されてるのか知らないが、「その人の本来の性で扱う」なら、自然とこういう結論になると思うのだが。


結婚だの付き合うだのは抜きにして、可愛い女性に性欲を抱く男性は、可愛いニューハーフにも性欲を抱かなければ、「その人本来の性で扱っている」ことにはならないだろう。


なんか散々、セクシャルマイノリティについて、とくにトランスジェンダーについて語っているけれど、俺自身はセクシャルマジョリティなので、トランスジェンダーの人にとっては、こんなこと言ってる人はウザイだけで、本人達にしてみれば全然見当違いのことを言っているだけなのかもしれない。


こうやってセクシャルマイノリティに言及したり、擁護っぽいことを言いたがるのは、「少なくとも後天的である趣味・嗜好においてマイノリティとなった僕ら」は、「先天的に与えられた『性』によってマイノリティにさせられた彼ら」に対し、マイノリティであるという同属意識を持っていたり、『マイノリティであることの強制』がいかに絶望的かを察することが出来るからかもしれない。
自らの趣味・嗜好を貫くためにマイノリティであることを『選択』することと、先天的にマイノリティであることを『強制』されるのは、似ているようで全く違う。


救われない、救われることの少ないマイノリティであっても、『選択』した僕らはともかく、『強制』させられている彼らは、救われるべきだと考える。
非モテだオタクへの偏見だなどと訴える暇があったら、自分の中のセクシャルマイノリティに対する偏見をなくす努力をした方がいい。

*1:そもそもトランスセクシャルの女性も女性なのだからこの文章はおかしいが、やはり通じやすさからこう書く

*2:やはりここでのニューハーフも、トランスセクシャルの意である