県立神田高校の件について

今更だが、言及する。
というのも、どうも動向を見ていたら、「事前に公表した選考基準以外の基準で選考したからアウト!」という声や、「容姿で判断するってどうなのよ!?」といった角度での話が多く見受けられたため。
これに関しては、はてダ内では特にid:y_arim氏の
事前に公表した選考基準以外の基準で選考してはならない - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
が一番反響が大きかった模様。
これには、とりあえず異論は無い。要するに、「ルールで決めているのに、そのルールから逸脱した行為をしたらアウト!」というだけのことだ。
だが、この問題は、これで終わらせるにはあまりに勿体ない。
というより、これで終わらせたら、「公表した基準と違う選考方法で不適切」だとした神奈川県教育委員会の、思惑通りではないだろうか。

まず確認しておきたいこと

今回、県立神田高校の校長が更迭された理由は、「公表した基準と違う選考方法で選考したことが、不適切だったため」である。
容姿で合否を判断することの是非等については、述べられていない。
なので、今回の更迭について言うなら、「自ら明示したルールを、自ら破って選考していたからダメ」という、ただそれだけの話である。


「容姿を見て合否決めるなんておかしいよ!」という意見の方々は、とりあえず、「容姿を見て合否を決めていたから更迭された」のではなく、「ルールを破ったから更迭された」のだという点に注意して欲しい。
これがもし、「面接の際に容姿を見て、合否判断に加味していただけ」なら、「書類選考と面接だけで合否決めるよ」というルールを破っていないわけであり、アウトにならなかったかもしれない*1

で、容姿で合否を判断することについて

というわけで、今回の神田高校の件については、「容姿で合否を判断することが是か非か」という問題に対しては、実は神奈川教育委員会は何の見解も示していないことがわかる。
容姿で合否を判断するというのは*2非常に難しいことであるというのは、容易に想像がつく問題で、要は、面倒な問題の所は棚に上げて、わかりやすい「ルールからの逸脱」という点で裁いたわけである。


で、容姿で判断することについての、僕の意見だが、全然構わないと思っている。
そもそも、15分かそこらの面接で、容姿・態度や言葉遣い以外に、何を見るのだ?
質問に対する答えの内容など、ほとんどが事前に仕込んだ物を答えているだけだし、15分間いい子ぶった答えを返すことくらい、ちょっと訓練すれば誰にでも出来てしまうだろう。
結局は、質問に対する答え方(態度)や、姿勢、部屋に入る時の入り方など、容姿・態度といった面で評価するのが、面接である。


以下余談。
とは言っても、選考基準が面白くないなぁとは思う。黒髪だけど明らかに櫛も入れずに寝癖がついているような奴と、根本までキッチリ金髪に染めた奴とでは、後者の方がある意味「マメで真面目」と言えるのではないだろうか。手入れされた長髪の奴の方が、ただバリカンで剃った五分刈りの奴よりよっぽど手の込んだことをしているとも言えるわけで。
とか思ってたら、とある大学教授が同じようなことを言っていた。「ああ、世の中には同じようなこと考える人がいるんだなぁ」と嬉しくなった反面、その教授は40過ぎて独身、友達はロールパンナちゃんと堂々と言うような人間なので、なんとも複雑な気持ちになった。


とまぁ、容姿で判断することの是非、また容姿で判断する際のその判断基準という物は、難しいということで。

むしろ、容姿・態度に問題がある人間こそ、合格させるべきかもしれない

「ルールから外れたからアウト」という理由で更迭された以上、今回の神田高校元校長の行為の是非は、「ルール上は」ハッキリしているわけで、議論の余地はない。
で、最初の「これで終わらせるにはあまりに勿体ない」という話になる。
つまり、仮に選考基準に『願書提出時その他、試験日以外の素行も選考の対象とし、合否判定の際考慮する』となっていたら、今回の件は、OKだったのだろうか?


これについては、人それぞれ意見があって当然だと思うし、正しい答えは無いに近い物だと思う*3
これはいわば、教育の理念の問題にも関わってくるような話だからだ。


容姿を合否の判定基準に入れたとして、誰を落とすべきで、誰を落とさないべきなのか。
著しく素行不良な者は、問答無用で落とすべきなのか?
面接等の選考を考えた時、多くの人は、態度の悪い者は落とすべきと考えるだろう。
会社の面接試験等なら、それでいい。
だが、教育ということを考えた場合は、これに限らない。


教育の機会均等だのなんだのと、教育学的な話を持ち出したら、「出来ない子こそ、教育すべきではないか」という言い方も出来る。
先日の橋本知事と高校生の対談について述べたエントリの例で言えば、「義務教育は終わっているのだから、自己責任だ」という風に言うことも出来る。
だが、半ば義務教育と化している高等教育で、しかも公立高校で、「出来ない子は入学させない」のでは、「出来ない子」の教育機会が奪われるということである。
もちろん、全ての公立高校で全ての志望者を受け入れろと言うつもりはない。
だが、学力や素行といった面で下層に位置する物を受け入れるべき場所では、「出来ないから入学させない」という態度はいかがな物かという話だ。


元々県立神田高校は、平塚学区では学力において下位に位置する高校であり、どちらかといえば「出来ない子を受け入れる高校」であったと言える。酷い言い方ではあるが。
その高校のポジションからして、求められる教育とは「一部の出来る生徒・素行の良い生徒を集め、進学率を上げること」ではなく、「学力上位の高校に行けない子供を受け入れ、社会に通用する人間に育て上げること」ではなかったのだろうか*4


学力下位校の教員らの負担が壮絶な物であることは想像に容易く、「まじめな生徒取りたかった」という校長の弁も真意であるとは思うが、「まじめでない生徒が神田高校で教育を受け、更生する」という機会を無くしてしまったことには変わりない。
やるべきは、「中退者を少なくするため、中退しそうな生徒を受け入れない」という方法ではなく、「中退者を少なくするため、中退者の出ないよう適切な教育をする」ことだったのではないだろうか。もちろん言うのは簡単で、実行するのは難しいことであるが。

教育について考える良い機会

というわけで、ただ「公表した基準と違う選考方法で不適切」だからアウトという話に終始してしまっては、「教育問題は色々大変だから、とりあえずルールの話にしましょ」という神奈川県教育委員会の思惑通り*5であり、むしろ「そもそも中退者が多い高校で、どのような教育・選考を行うべきだったのか」といった、もっと違う角度の議論も活発に為されたら良かったのになぁ、と思う次第である。
僕が上で述べたような見解は、ただの自意識過剰な万年中二病の愚痴の一つに過ぎないから、これが正解だ! ってわけじゃなく、これを機会に「ルールを破ったからアウト」という「ルールの話」ではなく、「教育」の方を、少しでも考えて貰えればと思う。

*1:その場合は、容姿で合否を判断するのは〜という話になるが

*2:容姿「だけ」では無いにせよ

*3:少なくとも今のところ見つかっていないという意味で

*4:私立高校なら話は別

*5:穿ちすぎた見方かも知れないが