がんばらなきゃだめですか

巷にはポジティブ教が溢れていて、街を歩けば愛だの恋だのを歌った歌が流れてきて、アニメじゃ主人公が逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと連呼して……。
福満しげゆきを読んでホッとした後「でもコイツ結局成功してるじゃん」と落ち込むような自分は、まるで社会のクズで、ゴミで、頑張ろうって言われても頑張り切れない自分はもう腐ったミカンみたいなもので、松岡修造に「本気を出し切れ!」と叱咤激励されて、その場は「頑張ります!」と涙を流しつつ答えるけど、心の中では「ああもう無理。てかなんで俺テニスやってんだろ」とか思っちゃって、そもそもなんで生きてるんだろ、てかなんで目の前に松岡修造がいるんだろ、ああ、なんだ、妄想か……と思って目が覚める、そんな毎日を送っている全国一千万人の後ろ向き協会会員の皆さん、こんばんは。今日も元気に後ろ向いてますか?


後ろ向きマイノリティにとって、とかくこの世は生き難い世の中で、まるで前を向いていないと穢多非人であるかのような扱いを受ける毎日ですが、今日も僕は元気です。
世の中には奇特な人もいて、ポジティブ教の熱心な信者は、まるで特定宗教の信者がそうするかのように、僕らにもポジティブであることの素晴らしさを説いてくれます。
でも、僕ら「日曜は家で寝てるか、パソコンしてます」なんて連中には、「明るく前向きに、日曜日は河原でBBQ!」なんて暮らし方はとても無理。だって河原に行ったら虫に刺されるし、夏は暑いし冬は寒いし、そもそもたまの休みぐらい家でゆっくりしたいし……。
「そんなのダメだよ! 外に出て、元気に活動しないと、人生損するよ!」そんなポジティブ教信者の言葉が聞こえてきそうですね。
ほっといて下さい。家でパソコンしてる方が楽しいんです。団体競技より、一人で自転車乗ってる方が楽しいんです。
でもそんなことを言おうものなら、途端に人格・人生レベルで否定されますね。
最初は「僕はインドア派だし、団体行動向かないし、これでいいんだ。これで楽しいし」と思っていても、ポジティブ教の説得を聞くにつれ「ひょっとして、自分はとても間違っているのではないか?」「自分は、人生をとてつもなく損しているのではないか?」という疑問が湧いてくることでしょう。
そしていつしかあなたは、「これではいけない」「自分を変えねば」と思うようになり、気付けば熱心なポジティブ教の信者として、昔の自分に似たような人を、必死に勧誘しているのです。


でも、ちょっと待って下さい!
本当に、ポジティブじゃなきゃダメなんでしょうか?
寝る前にエロ動画を見るのが日課で、日曜日は一日中家で溜まったファイルの整理なんて生き方は、ダメなんでしょうか?


誰だって、「その生き方で正しいの?」「それでいいの?」と聞かれれば、多少は不安になるものです。
そう、今日あなたが珍しく乗った電車にいた、スーパーサイヤ人みたいな髪型をして「てかだりぃよ」「えマジで? 凄くね?」と楽しそうに携帯で話していたお兄さんも、夜寝る前や、合コンが不発に終わって一人で帰る時など、ふとした拍子に不安に襲われているのです。多分。
やっべ、そういや俺来年就職じゃん。就職先決まってねぇし、先輩見てると30過ぎてフリーターとかキツそうだし、やべぇなぁ。と不安になることも、きっとあるのです。


いわんや、相手は手練手管に長けたポジティブ教信者です。自分にイマイチ自信のないネガティブ協会会員など、容易く落とせます。一説では、Fラン大学生をマルチ商法に誘うよりも遙かに簡単だと言われているくらいです。


そうしてポジティブ教に入信して、信者達と仲良く明るい人生を送っていく。それも良いでしょう。それもまた一つの人生です。
でも、あなたが本当にポジティブ教に入信したいのでなければ、どんなに「俺の生き方間違っているのかな?」と思っても、入信するべきではありません。
あなたはこれまで、世の中の色んな所で「ポジティブであれ」「前向きであれ」と教えられて来たのでしょう。だからちょっとポジティブ教信者に教えを説かれただけで、「ああ、やっぱり俺が間違っていたのだ」と思ってしまうのでしょう。
ですがこれらは全て、ポジティブ教洗脳なのです。
ポジティブ教は盤石です。与党と繋がりのあるとある宗教や、宗教的祭日が日本ではセックスするための日に成り下がっている宗教などよりも、遙かに。
ポジティブ教信者は場所を問わず遍在し、あなたに圧力をかけてきます。
屈してしまいそうになるのもわかります。いえ、屈しない方が難しいでしょう。何せ僕らは後ろ向きなのですから。常に自分自身に対してすら疑問を抱いているのですから。


ですが、それがあなたの素養なのです。あるいは生来のものなのです。
たとえあなたが、ポジティブ教に入信したとしても、あなたの「これでいいのか?」という疑問が晴れるでしょうか。
それどころか、「ポジティブ最高!」と無理に自分に信じ込ませる為に、あなたはポジティブ教の活動に積極的に参加し、信者獲得の為の勧誘を頻繁に行うようになることでしょう。
嘘だと思うなら、世のポジティブ教信者達を見てみなさい。
彼らはなぜか、ネガティブなあなたに対し、積極的に、時には必要以上と思えるほどに「ポジティブであれ」と説きます。それはなぜか。不安だからです。信者を一人でも多く獲得しないと、「ポジティブである」ということにすら、不安を覚えるのです。


生まれつき底抜けにポジティブな人間なんて、滅多にいるもんじゃありません。
誰でも、ネガティブな時もあれば、ポジティブな時もあるのです。
それを無理に「自分はポジティブである」と信じ込むのが、正しいことなのでしょうか。良いことなのでしょうか。
こんな無理を続けても、いつか破綻するのが目に見えています。


だから、もし今あなたが辛い思いをしていて、ポジティブ教の甘言に惑わされそうになっているのなら、思い出して下さい。
人生がんばらなくてもいいし、がんばってポジティブになるなんて間違っている、ということを。
本当にポジティブになるというのは、頑張って何かをすることではなく、まずネガティブな自分を認めることだということを。


最高にポジティブなバカボンのパパも、こう言っているじゃありませんか。
「これでいいのだ」

ネタ

ネタというか、こういうのの対極があっても良いんじゃないかと思って書いてみた。
なに、弱気になってんの。 - Attribute=51
guri_2さんの励まし方はそれはそれでアリだと思うし、自分もこの人の絵を見て「ああ、俺も絵描いたりしてみようかなぁ」って思ったくらいに元気というか、何かを貰った人なんだけど、ひねくれ者の自分はこういうエントリを見る度に「ああ、俺ダメなんだ……。全然ダメじゃん……」とむしろ落ち込むので、自分を励ます意味で、自分に向けて書いてみた。