ネットサービスの「終焉」

ネットサービスに限った話じゃないけど。

人が増えれば「終わる」

と書くと、「マイナー志向お疲れ様です」って話だと誤解されて終わってしまいそうだが*1
2chにしろtwitterにしろ、ユーザーが増えてくると、「そろそろtwitter終わったな」的な話が出てくる。
で、じゃぁ、なんでユーザーが増えると「終わったな」と言われるのか考えてみましょう、という話。
「終わったな」ってのに同意出来ない人は、これを単純に「マイナー志向の、選民意識持ったアホが、テメーが使ってるサービスが一般化しちゃったのが気にくわないって話でしょ」と受け取りがちだけど、実は本当に「終わってる」物があるんじゃないのかなーと。

「終わる」のはサービスその物じゃない

で、当たり前だけど、「twitter終わったな」と言われても、twitterのサービス自体が終わったわけじゃない。
当たり前だけど確認しておきたいのは、この「twitter終わったな」という発言は、ネットサービスとしてのtwitterの終焉自体を指しているわけではないということ*2
だから、「twitter終わったな」という発言に対し、「ユーザー増えてるから絶好調だよ!」という返し方は、言葉としては正しいけれど、文意としては正しくない。


じゃぁ、「終わったな」と言われる時の「終わった」物とは何なんだろうか。
前述したとおりtwitter自体は終わってないわけだから、正確には「twitter(の中にあった何かが)終わったな」「twitter変わったな」という言い方が正しいわけだけど。

twitterの場合

twitterが「終わったな」といわれる理由は、ユーザーの増加によるって前提で。というのも、twitterが出来てから今までで、そこ以外にさほど変わったところがないため。
実際には、公式アカウントが出来たとか、知名度が上がったとか、メディアに取り上げられるようになったとかあるけど、それは全てユーザーの増加に起因することなので、「ユーザーが増えた結果」の一部として見ることにする。
公式RTやlistなどの機能拡充は、また別だけど、この辺の機能拡充を指して「twitter終わったな」と言う論法は見たことがないので、取り上げない。


で、twitterが出来た当初をあまり知らないので、2008年と今の比較になるが、確実に変わったなと思うのはユーザー増加によるユーザー層の変化。
企業アカウントなんかにしてもそうだけど、一般アカウントにしても。
これを言い出すと、「利用開始が早い奴が偉いのかよ!」と勘違いされそうだが、そういう話ではないと予め言っておく*3

ユーザー層の違い

ネットサービスを初期に利用し始める層というのは、大抵が新しい物好きだったり、ネットを良く使っている人だったりする。
というのも当たり前の話で、まだそれほど話題になる前に、新しいサービスを使い始める人というのは、当然その分野に興味があったりしてアンテナを張ってる人になる。
そういう人たちの間で話題になって、そういう人たちの知り合いも参入してくるまでが、初期段階。
これはネットに限った話じゃなく、飲食店なんかでも同じだ。
頻繁にラーメン食べ歩きをしているようなラーメン好きほど、新しいラーメン店が出来たことに気がつくし、そこで食べるのも早い。
で、それが美味しければ、そのラーメンフリークのコミュニティで話題になって、知り合いが食べに行く。
そこで美味しければ、更に話題になって、ラーメン好き以外の間でも話題になる、といったように。


それと同じで、twitterも、最初はネットのコアユーザーの間で広まって、徐々にライトユーザーに広まったわけである。
じゃぁ、コアユーザーとライトユーザーはそんなに違うのか。コアユーザーがそんなに偉いのか。というと、そういう話じゃない。
そういうところよりも、民族性や国民性みたいな部分の話なんじゃないかなぁ、と思うわけである。

マスになれば収束する

たとえばblogのバトンなんかにしても、mixiの足跡巡回にしても、他のコミュニケ―ションサービスでコメントつけ合うとかにしても、自然と流行した物だ。
これって要するに、大多数がその方が良し・その方が心地よいコミュニケーションが出来ると思ったから、流行ったり主流になったりしてるわけで。
かなり強引な言い方になるけれど、つまり「空気読め文化」が主流なのだ。少なくとも、日本では。多分。


じゃぁ、最初にネットサービスを利用するようなコア層は、「空気読め文化層」ではないのかと言うと、必ずしもそうではない。しかし、インターネットの特性の一つとして「空気読め文化を強要されないで済む」というのがあるので、コアユーザーの中には当然「空気読め文化」を嫌う人が多い。
つまり、比率として、コア層の中の「空気読め層」はメインストリームではない。故に、そのユーザーの中で出来る雰囲気や文化というような物も、「空気読め文化」とは違った文化になる。


だが、ここにユーザーが増えるとどうなるだろう。
世の中は、圧倒的に「空気読め層」の方が多い。となれば、ユーザーが増えれば増えるほど、ユーザーの中の「空気読め層」の比率は上がる。
そうしてユーザーの増加が、特定の崩壊点を超えると、そこに流れる文化の(主流の)気質は独特な物から「空気読め層」の物へ変化するのではないか。
その時に出る言葉が「○○終わったな」なのだろう。

再三言っておくけど、どっちが偉いとかの話じゃない

改めて言っておくが、別に先にtwitterやってた方が偉いとか、先にmixiやってた方が偉いとか、先にネットやってた方が偉いとかの話ではない。
ただ、「先にやっていた層」は、世の中全体で見ると少数で、その少数の者たちが集まって「あ、ここの雰囲気、俺に向いてる」と思って集まっていても、そこに多数派が大挙して押し寄せればあっという間に、「多数派の物」になってしまうのだ。それだけのことだし、極当たり前のことだ。
そしてその時に失われる、少数派の文化こそが「終わったな」と言われる物である。


まぁtwitterの場合、幸い、人が増えようが、メジャーになろうが、自分がそういった層をフォローしなければ良いだけなので、少数派もあまり困らない。
しかし、古くからtwitterをやっている人は良いが、そうでない人にとっては大変である。


twitterのユーザーを、「空気読め層」と「それ以外」*4で二分するなら、初期のユーザーは「それ以外」が多かったと言える。
新しいネットサービスに積極的に飛びつくような、世間的少数派ばかりだったのだ。自然、自らも少数派なら、仲間を捜すのも容易だった。
だが、ユーザーが増えたらどうだろう。
世間の少数派はtwitterの中でも少数派となり、新しく入ってきた者がそれを見つけるのは困難になる。更には同時期に始めた人の中でも、少数派の比率は当然低くなる。
人が増えれば増えるほど、マイナーな趣味嗜好の奴は、仲間を増やすのが困難になるのだ。
そしてこれは、古くからやっていた人間たちの停滞をも生み出す。


そうしてまた「○○終わったな」という言葉を残し、人々は別な安息の地を探して、移住していくに過ぎない。だが自分たちが多数派でない以上、永久に定住の地は見つからないのだ*5

*1:まぁ、結局はマイナー志向という話になるのかも知れないけど

*2:むしろユーザー数が増えて一般化した際に使われることの方が多い

*3:ああ、こういう前置き面倒くせぇ

*4:別に呼び方は何でも良いんだけど

*5:書いてる途中でどうでも良くなってきたので終了