私的ネチズン分類。

ネチズンって言葉自体死語だけど。

原種:1995〜1997
インターネットでやり取りする情報は主に文字だった人たち。
チャットと掲示板と、極少数の個人サイト。意見交換の主な戦場はニュースグループ
画像ファイルのやり取りなんて時間食うだけだし、あらゆる表現は文字で行われた。
この時代ネットをやってた人は全て、月に○万円の電話代を経験しているか、テレホタイム接続競争を経験している。
ネットやってる人=一部のパソコンマニア。ネガティブなイメージ。
みんなみんなLAN設定出来たような人達。多分。

第一種:1998〜2000
原種がICQIRCに飛びつき使いこなす横で、新たにCGIでのチャットや掲示板をメインに利用するようになった人たち。
56Kモデムで月○時間まで定額〜フレッツIDSNで常時接続の時代。フレッツISDN登場までは、やはりテレホあるいは○万円の電話代に怯える日々。
個人サイトが隆盛し、ホームページという言葉が間違って広まった時期。接続して更新チェックしたら切断してから読め。
チャットは常時接続する必要があるので、テレホタイム以外は閑散としていた。
そんな中、利用するのに設定も不要で、接続→更新チェック→切断→読む→接続→書き込む→切断→接続→更新チェック の繰り返しで楽しめる掲示板(2chを筆頭に)がどんどん力を増す。
ネットやってる人=多少増えたとはいえやっぱり一部のマニア。掲示板に関連した事件などからよりネガティブなイメージに。マスコミの対応も「インターネットのBBSって何?」のレベル。
ネチズンにリアルでの市民権はない。

第二種:2001〜2003
フレッツADSLなどの高速常時接続回線の登場と、Yahooなどのポータルサイトの隆盛(Yahooオークション、Blogなどもこの時期から流行りだす)MMORPGの流行、IT革命や〜、で、一気にネット人口が増えた時期。
この時期に流入した人を便宜上二種と呼ぶ。
原種と第一種が、開拓者に近い存在だったのに対し、二種はその後の流入者。故にネットの雰囲気に慣れず、原種・一種と二種の間で多々軋轢も生じる(例:教えてくん、マルチなど)。
こういった問題は主に、原種・一種がある程度パソコンに詳しい人間(当時ネットを始めるには、ある程度の知識が必要だった)なのに対し、二種はネットを始めるのが容易になり、またiMacなどファッション性の高い(高いのか?)PCによりパソコン世界自体に新たに参入しネットに接続してきた人たちが多い為。
PCにある程度詳しい人間がiMacの拡張性と一般人がMacOSを選択する必要性に疑問を持つ中、iMacが爆発的な売れ行きを見せる。と同時に、ネットでは『iMacWindowsのソフトが動きません』といった質問が氾濫)
だがこの時点では原種・一種の方が数で二種を上回っていた為、「郷に入っては〜」ということで沈静化。
二種は根っこの部分では、原種・一種のような「昔からのパソコン好き」ではないものの、表面上は上手く同化される。
ISPの努力により、契約→ケーブル繋ぐ→専用ソフトで即ネット接続 という状態。
ICQ? IRC? 何それ? ポートって何ですか?
手軽なメッセンジャーが主流に。
ネット人口的にはネットも市民権を得つつあるが、原種と一種がそうは思っていないため、それに触れた二種も「ネットって市民権ないんだ」と錯覚。
だが着実にリアルへのフィードバックは増え、ネット発祥で商品化なども増えていく。

第三種:2004〜2006
ついに来た光時代。
P2Pが話題になり、それ目的にネットを始める人も増え、ネット参入はさらに手軽に。合言葉は「nyが(mxが)つながりません」
そして肥大する初心者。わからない事は検索するより質問しろ。その方が早い。
ついに新規流入速度が、既存者の対応限界を(体感上)上回った時期。
極めつけは電車男騒動とmixiの隆盛。
一気にネットに対するイメージは変わり、「ネット=日陰者の趣味」から「ネット=数ある趣味の中の一つ」に。
既存利用者が対応しきれない速度で新規に人が流入し、新規流入者は独自のルールと独自のコミュニティを結成。
その特徴は、「ネット上においてもリアルの友人関係と同様の付き合い方をする」という点。あるいは友人と共にネットを利用するケースも多々。
さらにこれに元来はパソコンオタクではない二種も便乗。
「なんだネットって暗いことだけする場所じゃなくて、フツーに明るいこともできるんじゃん」と二種が気づく。
(それまで原種・一種に抑圧されてきたストレスが爆発し反抗戦となるケースもあったと思う)
こうなると数で分が悪いのは原種と一種。
原種と一種の「オタク的理論武装」「理系的合理主義」はことごとく「キモイ」「クドイ」で弾き返され、和気藹々とした明るいネット世界が構築される。
原種の中からは自らを「モヒカン族」と呼ぶ者が現れ、圧倒的に数で劣る戦いが始まる。

これはまさに、ニュータイプとオールドタイプの戦争の始まりである。

皮肉なのは、後から入ってきた三種は「ネット新人類」ではあるが、決してリアルに照らし合わせた場合「新人類」ではない点。
むしろ三種こそ、リアルにおける「一般的な存在」であり、ネットという特殊な環境を支配(ただ単にがら空きの新天地だったから支配できただけだが)していた「新人類」を数により駆逐している状況。
(「新人類」という言葉が気に入らなければ、原種・一種と三種、どちらが現実社会において一般的かを考えてみれば良い。希少保護動物は、間違いなく三種ではない)


「我々はか弱い。だからあまりいじめるな」

原種も一種も、いまだネットだけでは生きていけない。
常にリアルが下地にあり、ネットとはその上に乗っかってかろうじて存在している物だ。
リアルが前提にある以上、原種も一種も、勝ち目はない。彼らにリアルで革命を起こすだけの力は恐らくないし、また三種が支配するリアルがあるからこそ、原種・一種が支配したネットも存在するのである。

だがネットの海は広大だ。
どんなに原種・一種が敗北しようとも、その退路が無くなることはなく、より深く、より暗く、光の届かないところへと逃げ続けることは可能だろう。