体と心と物と

有機物と無機物はキッチリ分けておきたい。
iMacのデザインについてギャーギャー言うくらいだから、無機物は好きである。でも有機物も好きである。
両方混ざると嫌。
サイバーな製品とかは嫌いではないが、それが服としてデザインされたり、身体に埋め込んだりだのとなってくると、途端に嫌になる。
なんだか途端に薄っぺらく見えてしまうのだ。
それって、単に有機体としての自己から物へ逃避したいだけじゃないのかと感じる。
人はどう頑張っても(現在の所)無機物で構成された存在になることはできないし、どうあがいたところで、殺して食ってクソする生物だ。
単純にその事実から逃げたくて、無機物側の世界に行きたくて逃避しているように見えて仕方ないのだ。

無機物のデザインは美しい。シンプルならばシンプルなほど、僕はそれを美しいと感じる。
無機物のデザインも美しい。やはりシンプルならばシンプルなほど、僕はそれを美しいと感じる。
シンプルという言葉は適切ではないかもしれない。かといってスマートという言葉も何か違う。機能美とでも言えば良いのか。
ただ面白いのは、身近に置いておきたい物は必ずしも美しい物ではないという点。
むしろ美しい物は鑑賞するための物であり、生活からは切り離した所にあるべきだと思っている。
生活、つまり生物としての僕が生きる世界にそれを置いてしまったら、きっと美しいそれはただ美しいだけではいられなくなってしまうと思うから。

現在午後10時、こたつに当たりながらNHKを見ていたら、ふとそんな事を思いった。
フィギアって華麗で優雅だとは思うけれども、最も競技として成熟出来ていない物の一つだとも思う。
競技だとかじゃなく、音楽でいう演奏会のような存在として有ってくれればいいのに。
フィギアスケートを見るたびに、オーケストラ演奏会を競技と呼んでいるような違和感を感じる。