書くこと。上手く書くこと

世の中には10種類の人間がいる。二進法を理解する者と、しない者だ。
ってのは、割と好きなQDBのネタの一つなんだけど、まぁそれは置いておいて、世の中には「書ける人」と「書けない人」がいるわけである。
そして僕は「書ける人」である*1

以下、くだらない証明。読み飛ばし推奨

だってですね、こうやって「だ・である」調か「です・ます」調かとかそういう細かい所とか、気にしなければ幾らだって書けるわけですよ。
あ、これタイピングだから書いてるとは言わないか。まぁでも、最近じゃタイプするのも「書く」の一部みたいなもんですよね。
っつーか、文体だの正しい日本語だのそんな面倒なこと頭の中からうっちゃって、テキトーに書いてりゃいーんすよ。だって「上手く書く」んじゃねーんだもん。アメリカ人に「日本語話せる?」って聞いて、オーイェー、スシ、テンプラ、ゲイシャ、ハラキリってなモンなわけで、上手く出来なきゃ出来るって言っちゃいけないわけじゃないし、書きゃいいんだ書きゃっつっても、中々それが難しい人もいるみたいだけど、よーするに「上手く書こう」とするから書けないわけで、話は戻ってとにかく適当に書いてりゃってことになるけどそれが出来ないから苦労してるわけで、あーっつーかこうやって書いてるのはただ脳内の思考っつーかそういうの吐き出してるだけだから、ちょっと毛色を変えて今からさっき作ったメシ食うからその感想を食いながら書いてみるぞってんで一口目、ああ、この噛みしめる度に甘みが染み出してくるような、程よい食感の残ったもやしの美味いこと、納豆ご飯も、決して炊きたてのご飯ではないが誰だったかは冷や飯こそ最高のご飯の食べ方とか言ってたしこれも食通っぽいのかと食べてみたが、やっぱり納豆ご飯は温かい方が美味しいと思うわけで、一口食べて冷蔵庫で冷やされた納豆と暖かくないご飯が口の中でネバネバと糸を引いて絡み合い、噛んでいるウチにってあれ、別に冷や飯に納豆ご飯でもいけるかも、と思って噛みしめれば噛みしめるほど、ご飯の甘みと納豆の旨味と醤油の塩味とカラシの絶妙なハーモニーが徐々に口の中で盛り上がっていく感じをお伝えできなくて残念ですって言ったところで、食ってる物は要するにモヤシ炒めと納豆ご飯と味噌汁という凄い貧しい食事なんだけど、月末で金ないから仕方ないだろって別に俺が何食ったって文句言われることもないだろうに、誰に仕方ないだろとか弁明してるんだ俺はと思った所でどれちょっとここまで何文字くらい書けてるか調べてみるかって、はてなの編集画面じゃ文字数出ないから何文字だからわからねーよべらんめーがってんで仕方なくちょっくらエディタ立ち上げてこの文章コピペして文字数数えて来るわってんで数えてみたら、丁度「来るわ」って所までで992文字だとさほら、飯食ってる間に原稿用紙三枚くらい楽勝ってなもんよって言ったところでちょっとこれ、もし原稿用紙何枚で幾らとかの仕事にありつけたら、スゲー楽に仕事貰える俺の天職なんじゃないかと思った所で、話を戻して「書くこと」「上手く書くこと」の違いについて。

閑話休題

さて、上の文章を読んだ人の多くは、上の読みづらく下手くそで表記揺れしている文章を見て、「これよりは俺の方が上手く書けるわ」と思ったのではないだろうか。
そしてそれ以上に、上の文章を読み飛ばした人が多いんだろうけれど、その人の行動は多分正解。


で、まずハッキリさせて置きたいのは、「書くこと」と「上手く書くこと」は違うということである。当たり前だけど。
上のひたすらに読みづらい*2文章の最後で、「原稿用紙何枚で幾らとかの仕事にありつけたら〜」とかアホなことを言っているけど、俺は「書くこと」は簡単に出来ても、「上手く書くこと」は物凄く苦手なので、「上手く書いてお金を貰う仕事」は無理である。
上手くなんて書けねーもん、俺。書くのは好きだけどね。下手の横好き。あ、ペンとかで紙に書くのは嫌い。ペンの持ち方変だから手痛くなるし字下手だから。

「書けない」と言う人は、「上手く書こう」としているだけ

人にはプライドって物があるので、「下手な文を書いて失敗したら困るわぁ」って考えがあって、「上手く書こう」「上手く書かなきゃ」と考えてしまい、結果「書けなく」なってしまうのだろう。
こんなこと書いてるのも、今日話したこととか、もっとずっと前にこのエントリで言ったこととかが関係してるわけだが。


で、ちょっと考えて欲しい。世の中、確かに「上手く書くこと」も大事だが、「上手く書こうとして書けない」よりも、「とにかく何でも良いから書く」ということの方が重要な場合もあるのではないだろうか?
ないだろうか? なんて問いかけてみたけど、別に説得力ある具体例は思いついてないんだけど。
ただ、「上手く書こう上手く書こう」として書けなくなってしまう、書くこと自体が嫌いになってしまうというのは、物凄い勿体ないことだと思うし、残念なことだと思うわけですよ。
なんてったって、そういう人が書く文は、ほぼ間違いなく俺より上手い、あるいは書き慣れていないだけで、確実に俺より上手くなる要素を持っているだろうから。
長々考え過ぎて書けなくなって仕方なく書く文章は、やっぱし「ああ、書くのが辛いんだなぁ」ってのが伝わって来ちゃって、面白くないと思うんですよ。

「書ける人」「上手く書ける人」の違い

まず、「書けない人」なんてのは本当の意味では存在しない*3。「書けるけど、上手く書こうとして書くのを躊躇している」って人がいるだけで。
最初の話に戻せば、僕は「上手く書けないけど、書くのを全く躊躇しないくらいに恥知らずなので、書ける人」なのである。
つまり、「書けない人」と「書ける人」の差はなんてことはない。躊躇せずに書くか否か、それだけである。


だが、「書ける」のと「上手く書ける」のは大きく違う。
「ただ書く」のが書ける人なら、上手く書ける人は、「推敲して上手に文章を纏め上げて書く」ことが出来る。
この、「上手に纏め上げる」ってのが難しくて、要するに一度思いついて言葉になったことを反芻したり組み替えたり削ったりして、文章としての質を高めているわけだが、それを上手に出来るかどうかってのがポイントになる。
ここで、上手にそれをやる方法でも書ければ、俺は文章作法本の一冊や二冊でも出せるんだろうが、生憎俺自身そのやり方を知らないどころか、推敲すら殆どしないので、アドバイスは出来ない。
しかし、天才と呼ばれた花形ですら、鉄球を打ち返す努力をして大リーグボールが打てたように、まずは下手でも書くことが、上手く書く為の第一歩だというのはわかる。この前マガジン立ち読みした。
つまり、「上手く書けないから」と「書かない」という選択を続けていては、いつまで経っても上手く書けるようにはならないわけである。
この日記を読み返せばわかるように稀に幾ら書き続けても上手くならない例もあるが、これは本人が上手くなることを半ば諦めているので例外。

「下手だけど書ける」「上手く書ける」の二種類ではない。

まぁこれも当たり前の話なんだけど、多分「書けない人」もとい「書かない人」は「上手く書けているか否か」を重視するあまり、二元論的な考えに陥っているのではないかと思うので一応。


「ただ書く」のが最初の一歩だとしたら、「上手く書くことを意識して書く」のがその次である。
だが大抵の「書けない人」の場合、ここで「上手く書こうと意識したのに上手く書けない!」という結果に諦めてしまうわけだけど。
だがちょっと待って欲しい。「上手く書くことを意識して書く」のは「上手く書く」ということではない。
つまり、結果書いた物が下手でも、書いてる最中「上手く書こう」と意識して書いていれば、それで良いのだ。
「上手く書こう」と意識することにより、自然と表記や文体、文頭文末等に気を配るようになり、それを続けることで徐々に上手くなっていくのだから。
言うなれば、「ただ書く」というのはボールも見ずにバッターボックスでただバットを振り回している状態で、「上手く書こうと意識して書く」というのは、ボールにバットを当てようと意識してバットを振っている状態である。
こうなれば、あとはフォームを意識したり、ボールをよく見るよう注意したり、やれ肘が甘いだのフォロースルーがどうだの、畳に沿って水平なスイングをするだの細かい点を修正しながら上手くなる練習をしていくだけだ。
その中で、ボールを用いない素振りの練習が最も多く行われることも忘れてはならない。
即ち、「テーマや内容などなくても良いから、ひたすらに文章向上を目指し書き続ける」ということである。
ま、素振りしない野球選手もいるかも知れないけど。

でも、誰でも上手くなれるわけじゃないけどね

いつの間にかバッティングの話になっているが、まだまだ続けると、バッティングで一番肝心なのはセンスらしい。
そりゃ練習すればある程度は上手くなるけれど、俺が落合と同じ練習を毎日繰り返しても三冠王には手が届かないように、練習すれば誰でもプロ並*4の文章を書けるわけではないのだろう。
ホームランバッターにはホームランバッターの、アベレージヒッターにはアベレージヒッターの才能があるように、何も文学的文章に限らず、論理的文章にしてもなんにしても、詰まるところ、文章も重要なのはセンスである。


なんか、やれ「まずは書け」とか言ってて最後にこれかよって感じだが、プロになるつもりの人はともかく、そうでないなら、それでいいじゃないか。
センスが無いバッターはプロ野球選手になるのは難しいけれど、センスが無くても努力すれば、草野球で活躍したり運が良ければ甲子園に出たり出来る。
素人草野球に甲子園球児が混じってたらそれだけで「あいつ野球上手いなぁ」と言われるように、プロになる程のセンスは無くとも文章が上手くなるよう練習していれば、「上手くないから恥ずかしくて書けない」ということが無いくらいには、書けるようになるだろうから。


それでも、「やっぱり上手くないので書けません」って人は、どれだけ高望みしてるんだよ、と。

*1:決して「上手く書ける」ではない点に注意

*2:別に普段の文章が平易だとは言わないけど

*3:身体的理由等で書けないというのは除く

*4:まぁプロって言ってもピンキリだけど