お前らの言う「好き」と、俺の「好き」は多分違う。

小室哲哉が逮捕されたらしい。
別段、僕は元々小室哲哉が好きではない*1し、安室奈美恵のCDもgloobeのCDも買ったことが無い*2くらいなので、「昔売れてた有名人が捕まった」程度の印象だったりする。
で、これに関しては「一人だけだったら細々生きていけただろうに、あんだけ稼いで金に群がる人が集まって来ちゃうと、食い物にされたり抱えてる人のことも考えなきゃいけなかったりで、大変なんだろうなぁ」という、まぁ同情に似た感想。


それよりも問題にしたいのは、小室が売れていた当時「小室好き」と公言していた人たちの反応。

そんなコロコロ変わる「好き」って何なの?

別に小室哲哉に限ったことではないのだけれど、爆発的に売れていたり、流行の時は「好き」になって、流行が過ぎると「昔は好きだったけどね」となる人は、いくらでもいると思う*3
僕はどうにも、そういう人の「好き」を信用できないのだ。
謡曲なんて流行物と言ってしまえばそれまでだが、少なくとも当時「好き」だったのは本当で、「当時好きだった自分」が存在したことも本当だ。
当時好きだったこと自体を否定するというのは、その「当時の自分」まで否定するのと同じではないか。
つまりそれは、安易に自分のことを否定するのと同じである。僕は安易に自分のことを否定するような人間は、信用出来ない。
今「○○が好き」と言っていても、次の瞬間にはそれを否定して、「昔はそう思ってたけど、やっぱ今は××だよねー」とポジションを変える人間は、「あなたが好き」と涙を流しながら百万回言おうが、次の瞬間には「やっぱあなた嫌い」と平気で言ってのけるだろうから。


また、小室哲哉が捕まった途端、小室哲哉の作った曲まで否定する人間も、信用できない。
小室哲哉の曲を自分が好きかどうかと、小室哲哉の曲が売れているかどうかと、小室哲哉という人間の人格とは、それぞれ一切無関係だからだ。
そこを混同して、「小室哲哉が犯罪を犯したから、小室哲哉の曲は好きじゃない」という人間は、要するに物事の価値判断を自らで行わず、他の要素に託しているにすぎない。
そういった人間は、やはり「○○が好き」と涙を流しながら百万回言おうが、売れなくなったり、他の人から「○○ってダサイぜ」と言われた瞬間、「やっぱり○○は好きじゃない」と平気で言ってのけるだろうから。


だから僕は、そういった人の「好き」を信用しない。
そして、その人の何かを「好き」だという感情自体が信用出来なければ、その人自体を信用出来るわけがない。
本人ですら、自分の「好き」に信頼を寄せられず、責任も持てないのなら、他人からすればなおさらである。

まぁこのエントリ見つけたから書きたくなって書いただけなんだけど

と、いつものようにぐちゃぐちゃな文章になってきたが、
小室哲哉と 恋しさと せつなさと 心強さと - TAKUYAONLINE

こんな記事を見つけたから書いただけである。
こういう人がいるというだけで、ちょっと救われる。


あー、小室を好きじゃないのって、要するに俺がエレクトーンやってて、打ち込みもやってて、でも音楽の本流っつーかなんつーかは生音生演奏にあって、ピアノ生演奏とかロックバンドとか、そういうのに対するコンプレックス持っててっていう、そういうのが出てるんだろうなぁ。
あ、でもB'zも好きじゃないや。

*1:小室のことは、「シンセ好きの、打ち込み大好きで、一人になると部屋でピコピコやってるキモイ兄ちゃん」だと思っていた

*2:実はtrfのCDは、中古で買ったことがある。「LEGEND OF WIND」だったかな

*3:僕の周りに多いだけか?