尊敬する人は?

尊敬する人は? と聞かれて答えられる人がいない。
これは別に尊敬に値する人がいないとかそういう事を言っているのではなく、大統領だろうが総理大臣だろうが科学者だろうがミュージシャンだろうが、人である事に変わりはないわけで、成した事が傍目から見てどんなに大事だったとしても、僕にとってはその人たちが何を成したかよりもどんな人なのかの方がよっぽど重要だからである。
大体会った事も見た事も無い人を尊敬できるという考えがよく理解できない。これは会った事も無い人を好きと言うのも同じである。
テレビなどで見て、外見が綺麗とか仕草が綺麗とかそういう事は言えるだろう。もちろん僕も好きな芸能人などを聞かれれば、社会生活を円滑に行う為にそれに答える。だが本気でその人が好きなわけでは、もちろん無い。
テレビに映るのはあくまで芸能人としての作られた存在であり、ある意味で僕の好きな芸能人というのはテレビなどのメディアの中にしか存在しないのだ。

となると、尊敬する人として面識の無い著名人を挙げるのも何か違う気がする。
では無難に両親など面識ある範囲で選ぶか。
となると、僕にとっては「結婚という制度にのっとり子供を作り離婚せずに成人まで育てる」というだけで十分に尊敬に値する要素なのだ。こうなると対象者が多すぎる。恐らく半数以上の人が当てはまるのではないだろうか。

故に尊敬する人は? と聞かれても、芥川龍之介だとか会った事も無い、ただ作品が好きなだけの人の名前を挙げるしかないのである。